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息子が生まれてもうじき1ヶ月。妊娠後期、「お腹から出てきたら大変になるわよ〜」と周りから言われていて予想はしていたけど、確かにずっと天手古舞の日々が続いています。両手を使う作業が全くできない。。。今も、いつ目覚めて泣き出すか・・・とビクつきながらパソコンを開いている次第です。でもでも、息子からこんなに求められるのは今だけ、これからはどんどん成長して離れていくばかり。そう思うと、寝不足でも何でも今の時期がとても愛おしく感じます。
さて、日々の子育てに追われて出産の記憶がぼんやりしてきているので、忘れちゃわない内に出産体験記を書き残しておきたいと思います。産む前、出産に対して不安や恐怖を抱えていたとき、色んな方のブログの出産話を読んで勇気づけられたりしたので、同じような気持ちを抱えている人に、こんなわたしでもちゃんと出産できたから大丈夫だよ〜というメッセージも込めて。
〜〜〜〜以下かなり長文〜〜〜〜
出産ストーリーは本当に十人十色。わたしの場合、予想外の展開の連続で、バタバタの中で気がついたら生まれていたという感じでした。両親学級で習った流れと違うじゃ〜んって何度叫んだことか。。。
まず、5月13日の38週目の妊婦健診時、子宮口がほとんど開いていないと指摘されたため、「初産は予定日過ぎる人も多いみたいだし、わたしものんびりパターンかもな〜」なんて悠長に考えていました。健診後に若干の出血があったものの、その後お腹の張りのペースにも変化はなく、痛みも全く感じること無く数日が過ぎました。
15日(金曜日)
この時点で兆候ゼロだったので、ジョータは"当分の間の最後の男子会"という名の飲み会を同僚(この同僚の奥さんも5月20日予定日の妊婦でした。彼女はその後19日に無事出産しました)と夜更けまでしたり、この時は「予定日付近まで絶対出てこないであろう」という妙な自信がありました。
15日(金曜日)
この時点で兆候ゼロだったので、ジョータは"当分の間の最後の男子会"という名の飲み会を同僚(この同僚の奥さんも5月20日予定日の妊婦でした。彼女はその後19日に無事出産しました)と夜更けまでしたり、この時は「予定日付近まで絶対出てこないであろう」という妙な自信がありました。
16日(土曜日)
朝〜夕方
この日の朝も全くいつもと変わらず兆候なし。ただ、なぜか部屋の片付けと赤ちゃん用品の確認を無性にしたくなり、ごろごろしているジョータの尻を叩いて一緒に部屋をサッパリさせ、カーシート等を箱から出したりしました。思い返すと、何か第六感が働いたのかも。その後中華料理が食べたくなったので、昼にCooking Papa(中国人の友達オススメの本格中華料理店→HP)へ行き、北京ダックと小籠包を食しました。これが出産前の最後のゆっくりした二人きりのランチになるとは・・・。脂っこい中華をガッツリ食べたのでさすがにちょっと罪悪感を感じ、体調も良かったし、午後3時頃からスタンフォードの丘にハイキングに出かけました。
朝〜夕方
この日の朝も全くいつもと変わらず兆候なし。ただ、なぜか部屋の片付けと赤ちゃん用品の確認を無性にしたくなり、ごろごろしているジョータの尻を叩いて一緒に部屋をサッパリさせ、カーシート等を箱から出したりしました。思い返すと、何か第六感が働いたのかも。その後中華料理が食べたくなったので、昼にCooking Papa(中国人の友達オススメの本格中華料理店→HP)へ行き、北京ダックと小籠包を食しました。これが出産前の最後のゆっくりした二人きりのランチになるとは・・・。脂っこい中華をガッツリ食べたのでさすがにちょっと罪悪感を感じ、体調も良かったし、午後3時頃からスタンフォードの丘にハイキングに出かけました。
このハイキングが無かったら、きっと予定日までチビは出てこなかったんじゃないかと思います。担当医から「早く産みたければよく歩きましょう」と言われていたけれど、それまで心の隅で「歩こうが何しようが出るときは出るし、出ないときは出ないでしょ」なんて考えていました(だから平日はゴロゴロしていた)。実際、よく運動していてもなかなか産気づかない人もいるし。でも、わたしの場合は、このハイキングが陣痛を引き寄せたと確信しています。でも歩いているときは、次の日にチビをこの腕に抱いているとは全く予想もしていませんでした。
この日は本当に体調が良くて、初めてハイキングコースを一周することができました。そこそこ起伏の激しい道のりを6.5キロ。いつも途中で尿意を感じたりして引き返していたので、一周できたことにすごい達成感を感じました。歩きながら少しお腹が張ったりもしましたが、痛み等はありませんでした。
午後6時ころ
ハイキングでクタクタになり、何かさっぱりしたものを食したくなったので(妊娠後期、本当に食欲が爆発していたな。。。)、スプラウツ(オーガニック食品とか売っているスーパー→HP)に行ってアサイーボウルの材料を買い、家に帰ってジョータに作ってもらい食べました。これが午後6時ころのこと。
午後7時過ぎ:前駆陣痛
その後、ジョータがゲームをする横でゴロゴロしていたのですが、午後7時過ぎ辺りから少し生理痛のような痛みを感じるようになりました。でも我慢できる程度だったし、ジョータから「前駆陣痛でしょ」と一蹴されたので(ジョータさん、両親学級に参加した成果でわたし以上に出産の流れについて詳しくなっていた)、あぁこれが前駆陣痛か・・・と思いながらウトウトしていたら痛みが遠のいていきました。
午後9時〜11時ころ
その後、二人で映画を観始めたのですが、やっぱりなんか腹が痛い。そこでアプリに入っていたコントラクションタイマーで測ってみると、10分だったり15分だったり6分だったり・・・間隔がバラバラ。やっぱり前駆陣痛かもな〜とそのまま映画を観続けました。いずれにしても破水や511(5分間隔で1分間続く陣痛のパターンが1時間続く)って感じじゃないし、病院に行っても家に帰されるだろうから、できるだけ家でリラックスして過ごそうと思っていました。
午後11時ころ:出血
午後11時近くになり、映画の途中トイレに立ったところ、いきなり生理二日目くらいの量の鮮血が出ていることに気づく。先日の内診後の出血とは比ではない量。これがおしるし(Bloody show)なのか?けっこう出るもんだな〜なんて思いつつ、念のため担当医に連絡。
17日(日曜日)
午前0時ころ:第1回目病院
担当医から病院に行くように指示され、5月17日午前0時過ぎに手ぶらで産院へ(入院グッズ等は持って行かなくていいと言われた)。産院は家から2マイル程度の距離。途中そこそこの腹痛を感じましたが、まだ我慢できる程度でした。産院の夜間入り口から中に入り、当直の看護師さんたちに状況を説明した後、ペラ一枚の問診票になんか書いてサインし(もう内容を思い出せない。多分既往歴とかだったような。。。)、陣痛分娩室へ。看護師さんから現在の痛みのレベルを1から10で聞かれたので「4」と答えるわたし。少しずつ腹の痛みが増してきたような気がしてはいましたが、ここで5以上を言ってしまうと、本当の陣痛のときに10で収まりきらなくなるじゃん!って思い、控えめに4にしておきました。
分娩第一期(Early Labor):陣痛を確認
背中がガバっと開いた検査着に着替え、ベッドに横たわってお腹にベルトを装着し、NSTをしながら子宮口の検査。チビの心拍数は順調で、陣痛の波も来ているらしい(陣痛があるからノンストレスのNSTじゃなくて胎児心拍陣痛図のCTG検査になるのかな?)。そして、気になる子宮口・・・けっこう開いていたりして!?なんて思っていたところ、「2センチね」とのこと。ただ、もう分娩第一期(Early Labor)に入っているので、予想としては順調に行けば今日(5月17日)の夕方くらい、どんなに遅れても水曜日(20日)までには生まれると予言されました。「初産なので長期戦になることが予想されるから、一旦家に帰って、シャワーを浴びてとにかく寝て身体を休めて」と言われ、あ〜長丁場の戦いになるんだな〜確かに両親学級でEarly Laborは6から12時間続くって習ったし。。。と、これから長く続くであろう陣痛に耐える覚悟を決めました。
午前1時過ぎ:一旦帰宅。陣痛強まる
午前1時少し回った頃病院を後にし、途中、お腹が空いたので24時間やっている近所のWalgreens(アメリカのマツキヨみたいな店→HP)でジョータにスナックを買ってきてもらい(陣痛がそこそこ強くなり歩くのが辛くなっていたので店に入るのは断念)、家に帰りました。
1時半ころ帰宅し、シャワーを浴びようとしたところ、お腹がかなり痛くてバスルームでうずくまるわたし。「ちょっ、これかなり痛いよ。もう8くらいの痛みだよ。こんなん6時間以上も耐えられない。。。」と決めた覚悟をグラつかせながらジョータに訴えたところ、「出産ってのはそういうものだよ」と途中まで観ていた映画の続きを再生し始めながら他人事のように言われ、痛みと怒りの中で「お前の股間蹴ったろか〜」と本気で思いました。しかし、あまりにもわたしが痛がっているので、さすがに映画の再生を中止し(ちなみに観ていたのはこの映画→Charlie Victor Romeo)、シャワーに一緒に入って浴びるのを手伝ってくれました。
浴びている最中に何度も痛みの波が襲ってきて、「痛い〜痛い〜」と叫びながらの入浴。午前0時頃は痛みレベル3(ちょっとシンドイ生理痛くらい)だったのが、2時間ちょっとでレベル9(レベル10はまだ使わずにとっておきたい)。もう腰から腹からものすごい痛み。本当にこれが分娩第一期の痛みなのか!?このインテンスな痛みが6〜12時間続くのか!?と心が折れかけていました。何よりも、この痛みは序の口で、Active Laborに入ったらもっと痛みが強くなるのだと思うと、もうこの時点で早くエピデュラル(無痛分娩で使う硬膜外麻酔)を打ってしまいたい!と思いました(ちなみに、エピデュラルを打つタイミングは511のリズムができて陣痛の波が安定するまで待つのが良いとされています)。産気付く前は、「様子を見て無理な感じだったら無痛にするわ」なんて言ってたけど、はい、無理無理無理。
シャワーをどうにかこうにか浴び終わり、ベッドに入ろうとしましたが、痛くて寝るどころじゃない。習った呼吸法でリラックスして痛みを逃そうとしましたが、もう逃げていくような痛みじゃないわって感じ。でもしっかり呼吸することはそれなりの助けになりました。ちなみに、この瞬間のために買っておいたテニスボールでジョータに腰を押してもらってもあまり効果はありませんでした。むしろそっとしておいてくださいって気分。ジョータさん両親学級で色々学んだのにね。。。でも一番精神的に効いたのはジョータの手をギューーーっと握ることだったかも。
午前3時:第2回目病院
もう痛くて痛くて、さすがにおかしいと思い始め、コントラクションタイマーでもう一度測ってみたら、511どころか311くらいになっているじゃないの。この時点で、それぞれの実家に電話を入れ(うちの両親には国際電話)、入院グッズを持って病院へ行きました。陣痛が来ていない時間がすごく短くなっていたので、支度をするのも一苦労。車まで移動する最中も陣痛に襲わて、外で座り込み、近所迷惑にならないように声を殺しながらも呻く。午前3時のことでした。
分娩第一期(Active Labor→Transition):尋常じゃない痛さの陣痛
病院到着後、すぐそこの夜間入り口に辿り着くまでに3回の陣痛。その度にその場にへたり込み呻く。この後意識朦朧で記憶が定かじゃありませんが、陣痛分娩室に再び入り、着替えてCTG検査をし、子宮口のチェック。結果、もう7〜8センチ開いているとのこと。3時間前まで2センチだったのに、何この急な展開!?看護師さんも驚いて病院内が急にバタバタし始める。
痛みについてとかこれまでの経過とか色々英語で尋ねられ、朦朧としつつもなんとか返答(ここでもまだ10は使いたくなくて9と答えた)。そしてASAPでエピデュラルをよろしくと伝える。「この段階だともうエピデュラルが間に合うか。。。急いでみるわね」と言われてショックを受けるわたし(子宮口が8センチ以上開いていると無痛の処置をするには遅すぎるらしい)。「ここまで急激で強い陣痛に耐えてきたなんてロックスターよ!!!」と褒めてもらったものの、それよか早くこの痛みから開放してくれ〜と心の底から思いました。
午後11時ころ:出血
午後11時近くになり、映画の途中トイレに立ったところ、いきなり生理二日目くらいの量の鮮血が出ていることに気づく。先日の内診後の出血とは比ではない量。これがおしるし(Bloody show)なのか?けっこう出るもんだな〜なんて思いつつ、念のため担当医に連絡。
17日(日曜日)
午前0時ころ:第1回目病院
担当医から病院に行くように指示され、5月17日午前0時過ぎに手ぶらで産院へ(入院グッズ等は持って行かなくていいと言われた)。産院は家から2マイル程度の距離。途中そこそこの腹痛を感じましたが、まだ我慢できる程度でした。産院の夜間入り口から中に入り、当直の看護師さんたちに状況を説明した後、ペラ一枚の問診票になんか書いてサインし(もう内容を思い出せない。多分既往歴とかだったような。。。)、陣痛分娩室へ。看護師さんから現在の痛みのレベルを1から10で聞かれたので「4」と答えるわたし。少しずつ腹の痛みが増してきたような気がしてはいましたが、ここで5以上を言ってしまうと、本当の陣痛のときに10で収まりきらなくなるじゃん!って思い、控えめに4にしておきました。
分娩第一期(Early Labor):陣痛を確認
背中がガバっと開いた検査着に着替え、ベッドに横たわってお腹にベルトを装着し、NSTをしながら子宮口の検査。チビの心拍数は順調で、陣痛の波も来ているらしい(陣痛があるからノンストレスのNSTじゃなくて胎児心拍陣痛図のCTG検査になるのかな?)。そして、気になる子宮口・・・けっこう開いていたりして!?なんて思っていたところ、「2センチね」とのこと。ただ、もう分娩第一期(Early Labor)に入っているので、予想としては順調に行けば今日(5月17日)の夕方くらい、どんなに遅れても水曜日(20日)までには生まれると予言されました。「初産なので長期戦になることが予想されるから、一旦家に帰って、シャワーを浴びてとにかく寝て身体を休めて」と言われ、あ〜長丁場の戦いになるんだな〜確かに両親学級でEarly Laborは6から12時間続くって習ったし。。。と、これから長く続くであろう陣痛に耐える覚悟を決めました。
午前1時過ぎ:一旦帰宅。陣痛強まる
午前1時少し回った頃病院を後にし、途中、お腹が空いたので24時間やっている近所のWalgreens(アメリカのマツキヨみたいな店→HP)でジョータにスナックを買ってきてもらい(陣痛がそこそこ強くなり歩くのが辛くなっていたので店に入るのは断念)、家に帰りました。
1時半ころ帰宅し、シャワーを浴びようとしたところ、お腹がかなり痛くてバスルームでうずくまるわたし。「ちょっ、これかなり痛いよ。もう8くらいの痛みだよ。こんなん6時間以上も耐えられない。。。」と決めた覚悟をグラつかせながらジョータに訴えたところ、「出産ってのはそういうものだよ」と途中まで観ていた映画の続きを再生し始めながら他人事のように言われ、痛みと怒りの中で「お前の股間蹴ったろか〜」と本気で思いました。しかし、あまりにもわたしが痛がっているので、さすがに映画の再生を中止し(ちなみに観ていたのはこの映画→Charlie Victor Romeo)、シャワーに一緒に入って浴びるのを手伝ってくれました。
浴びている最中に何度も痛みの波が襲ってきて、「痛い〜痛い〜」と叫びながらの入浴。午前0時頃は痛みレベル3(ちょっとシンドイ生理痛くらい)だったのが、2時間ちょっとでレベル9(レベル10はまだ使わずにとっておきたい)。もう腰から腹からものすごい痛み。本当にこれが分娩第一期の痛みなのか!?このインテンスな痛みが6〜12時間続くのか!?と心が折れかけていました。何よりも、この痛みは序の口で、Active Laborに入ったらもっと痛みが強くなるのだと思うと、もうこの時点で早くエピデュラル(無痛分娩で使う硬膜外麻酔)を打ってしまいたい!と思いました(ちなみに、エピデュラルを打つタイミングは511のリズムができて陣痛の波が安定するまで待つのが良いとされています)。産気付く前は、「様子を見て無理な感じだったら無痛にするわ」なんて言ってたけど、はい、無理無理無理。
シャワーをどうにかこうにか浴び終わり、ベッドに入ろうとしましたが、痛くて寝るどころじゃない。習った呼吸法でリラックスして痛みを逃そうとしましたが、もう逃げていくような痛みじゃないわって感じ。でもしっかり呼吸することはそれなりの助けになりました。ちなみに、この瞬間のために買っておいたテニスボールでジョータに腰を押してもらってもあまり効果はありませんでした。むしろそっとしておいてくださいって気分。ジョータさん両親学級で色々学んだのにね。。。でも一番精神的に効いたのはジョータの手をギューーーっと握ることだったかも。
午前3時:第2回目病院
もう痛くて痛くて、さすがにおかしいと思い始め、コントラクションタイマーでもう一度測ってみたら、511どころか311くらいになっているじゃないの。この時点で、それぞれの実家に電話を入れ(うちの両親には国際電話)、入院グッズを持って病院へ行きました。陣痛が来ていない時間がすごく短くなっていたので、支度をするのも一苦労。車まで移動する最中も陣痛に襲わて、外で座り込み、近所迷惑にならないように声を殺しながらも呻く。午前3時のことでした。
分娩第一期(Active Labor→Transition):尋常じゃない痛さの陣痛
病院到着後、すぐそこの夜間入り口に辿り着くまでに3回の陣痛。その度にその場にへたり込み呻く。この後意識朦朧で記憶が定かじゃありませんが、陣痛分娩室に再び入り、着替えてCTG検査をし、子宮口のチェック。結果、もう7〜8センチ開いているとのこと。3時間前まで2センチだったのに、何この急な展開!?看護師さんも驚いて病院内が急にバタバタし始める。
午前3時20分陣痛と戦うわたし。あまりにもブッサイクだったので顔はモザイクです。 |
痛みについてとかこれまでの経過とか色々英語で尋ねられ、朦朧としつつもなんとか返答(ここでもまだ10は使いたくなくて9と答えた)。そしてASAPでエピデュラルをよろしくと伝える。「この段階だともうエピデュラルが間に合うか。。。急いでみるわね」と言われてショックを受けるわたし(子宮口が8センチ以上開いていると無痛の処置をするには遅すぎるらしい)。「ここまで急激で強い陣痛に耐えてきたなんてロックスターよ!!!」と褒めてもらったものの、それよか早くこの痛みから開放してくれ〜と心の底から思いました。
エピデュラルについて
無痛分娩については日本ではまだ普及していないし、否定的な意見もありますが、わたしは無痛バンザイだと思います。この後、なんとかエピデュラルが間に合い、無痛分娩を経験することが出来ました。無痛にしたおかげで最後は落ち着いて冷静に我が子の誕生を見届けることができたし、その後の回復も早かった気がします(これはスピード出産だったこともあるかも)。わたしの場合は副作用等(頭痛や肌の痒みとか)も無く、足も痺れてはいるもののちゃんと動かせたし、背中への注射の痛みについても陣痛の痛みの方がずっと深刻だったのでほとんど感じませんでした。もちろん、息子にも何も影響なし。次産む時も絶対に無痛にします。(無痛分娩があれば何度でも産んでもいいわっていう意見も聞くし、少子化対策にもかなり効果的だと思うんだけどね。)
無痛分娩の流れ:無痛にしたい旨訴える→麻酔専門医が来る→麻酔についての説明を受けた後免責書類のようなものにサイン(陣痛がヤバすぎて内容あやふやなままさっさとサイン)→準備が整う→起き上がり、ベッドの横に腰掛ける→背中を消毒後、腰の上付近に注射(この時は動いてはいけないんだけど、陣痛の波が襲ってくると身を捩りたくなってかなりキツイ。注射自体は全く痛みを感じなかった)→先生が手早くなんか背中で作業をしている(多分麻酔を運ぶチューブのようなものを付けている)→作業が終わり、またベッドに横たわる→痛みの様子について質問されるが、依然として強い痛みがあるので、麻酔の量を増やす→だんだんと痛みを感じなくなる。20分程度して完全に痛みから開放される。
無痛分娩の流れ:無痛にしたい旨訴える→麻酔専門医が来る→麻酔についての説明を受けた後免責書類のようなものにサイン(陣痛がヤバすぎて内容あやふやなままさっさとサイン)→準備が整う→起き上がり、ベッドの横に腰掛ける→背中を消毒後、腰の上付近に注射(この時は動いてはいけないんだけど、陣痛の波が襲ってくると身を捩りたくなってかなりキツイ。注射自体は全く痛みを感じなかった)→先生が手早くなんか背中で作業をしている(多分麻酔を運ぶチューブのようなものを付けている)→作業が終わり、またベッドに横たわる→痛みの様子について質問されるが、依然として強い痛みがあるので、麻酔の量を増やす→だんだんと痛みを感じなくなる。20分程度して完全に痛みから開放される。
午前5時〜6時:仮眠
麻酔が効き始めてからは本当に生き返った感じがしました。やっとリラックスできたので、午前5時から6時ころまでふたりとも仮眠をとりました。考えてみれば、ハイキングでクタクタだったのに、そこから一睡もせず分娩に雪崩れ込んでしまい、もうボロボロ。ここで仮眠が取れてよかったです。(【追記】思い返せばこの仮眠を最後に、睡眠不足の生活に突入したんだよな・・・。)
午前6時過ぎ
分娩第二期(Pushing→Birth):いきむ
午前6時過ぎ、子宮口の確認をしたところ、10センチ全開。プッシュの始まりです。先生や看護師さんが続々と集まってきました。この子宮口チェックで破水したのですが、チビさん、胎便を漏らしていました。出産後NICUに行く可能性もあると言われ、心配になりましたが、とにかく早く外に出してあげようと思い、プッシュプッシュプッシュ。ジョータも片足を押さえて手伝ってくれました。陣痛はほとんど感じない状態になっていたので、モニターで波を確認し、先生とジョータの合図に従ってとにかくいきむ。力の限りいきむ。
午前7時13分:誕生
頭はすぐそこに見えていて、いきむ度に出てきてはいるけど、大きめだからなかなか完全に出てこない。。。45分くらいプッシュを繰り返し、酸素吸入もしてもらい、気付かない内に会陰切開もされ、やっとのことで午前7時13分、チビの産声が部屋に響き渡りました。しっかり泣いていて、肺も活動しているからNICU行きはなくなり、一安心。
ジョータさん、血とかにめっきり弱いと思いきや、へその緒も切ってくれたし、全てをしっかり観察していたそうで、「すごいことになっていたよ!頭が出てくるときは興奮した!」となんかとても嬉しそうに報告してくれました。
結局、病院に着いてから4時間弱のスピード出産。陣痛を感じてからは8時間程度でした。それにしても午前0時の子宮口2センチ段階から午前3時の7〜8センチの段階までものすごい早さで進んだもんだ。長期戦よりはよかったと思いますが、本格的な陣痛が来ているのに、まだこの先が長いはずだと信じ込んでいたことで、陣痛の痛みとの付き合い方がグダグダになってしまったのはある意味辛かった。夕方ころになりそうだって言ってたじゃーん。311くらいのやばい陣痛の最中にシャワー浴びてて、危うく家で産み落とすところだったわ。
そんなこんなのバタバタ出産でした。初産でこの早さ、安産で本当によかったです。でも、やり遂げた感はある。そして、みんながよく言うように、産んだ後(と言うか麻酔後)はもう陣痛の痛みなんて忘れちゃいました!
これから出産される方、想像よりも陣痛や分娩は恐ろしいものではありません。その時その時で必死になってなんとか乗り越えられるものです。これからお母さんになる人、がんばれー!
以上、出産体験記でした。
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