2016年3月26日土曜日

赤ちゃん連れパーティー参加【2015年8月21日】

以下は2015年8月21日に書いた記事です。

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赤ちゃんがいると生活の中で色々と制限されること(諦めること)が増えるかな〜なんて思っていましたが、今のところ、普通に外食にも行っているし(こちらの人々やレストランは赤ちゃん連れに寛大)、週末は車で遠出したりもするし、友達にも会えるし(これは友達が色々気を遣ってくれているおかげ)、意外と何でもできるもんだなと感じています。もちろん自由気ままに動くことはできずストレスを感じることもありますが、子どもに対する責任を常に感じながらの行動も親になった醍醐味だと思い、できることを存分に楽しむぜ!とポジティブに考えてます。

先週末は恒例のテスラパーティーに参加するためにモントレーへ行ってきました。新しいスーパーチャージャーの完成を祝うために、テスラの関係者やオーナーが集まり、去年以上に盛り上がっていました。もちろんジュリアンも一緒。

チャージ中の待合室(VIPルームと言うらしい)には子ども用の遊び場も付いていて、家族連れに優しい感じ。テスラのオリジナルクレヨンと塗り絵も付いています。


この日会場に現れた、テスラのチーフデザイナーのフランツに抱っこしてもらったジュリアン。フランツも奥さんと2人の子どもを連れての来場でした。

テスラオーナー層は比較的に年配の白人の方が多いのですが、ジュリアンを見て孫を思い出すのか、色んな人から声をかけられました。あまりにもひっきりなしに話しかけられるので、かなり良い英語のトレーニングになったわ。ジュリアンも人見知りせず、ニコニコしてくれていたので助かりました。居心地良くて、授乳やらオムツ替えを挟んで、パーティーに最初から最後まで居座ってしまった。

来年のパーティーでは1歳3ヶ月になっているであろうジュリアン。みんなから次会うときは大きくなってるね〜と言われていました。一方、来年は思う存分酒が飲めるか・・・?とか考えているダメ母のわたしでした。
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2016年3月24日木曜日

ベビーはアメリカ人〜米国パスポート申請について〜【2015年7月28日】

以下の記事は2015年7月28日に書いたものです。
なお、このブログはあくまでも体験談なので、パスポートの申請手続きについては各自できちんと確認してください。

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今日は息子の昼寝時間を利用してのブログ更新。最近、昼間の活動時間が長くなり、よっしゃ目を閉じた!と思ってもすぐに覚醒。今日は珍しく長く寝てくれています(しめしめ)。起きているときは近くにいないと泣くから(ぼんやりと目に映る人間が自分の母(または世話係)だとわかってきた模様)、キッチンや隣の部屋に移動するときもバウンサーごと一緒に移動させて、わたしの行動を観察させています(独り言の実況中継がうまくなった・・・)。食事も片足でバウンサー揺らしながら食べてるし、もうバウンサーを揺らす動きがわたしの足のデフォルトになっちゃって、揺らしていないと落ち着かなくて貧乏揺すりしちゃうわ。。。そんな感じの今日この頃、って前置きが長くなりましたが、今回は息子の米国パスポート申請について書きたいと思います(ずっと書きたかったけど機を逸していた・・・)


息子が生まれた頃から、8月の終わりに久しぶりに日本に帰省したいな〜と考えていたわたしたち。しかし、海の向こう日本への旅となると息子にパスポートが必要になる。そこで息子が生後3週間のときに米国パスポートの申請をしてきました(日本のパスポートはアメリカからの手続きに時間がかかりそうだったので後回しにしています)

ちなみに、米パスポートの申請にはその前提として米国籍が必要ですが、アメリカは出生地主義(日本は血統主義)なので、この土地でうんぎゃ〜と生まれたジュリアンは当然に米国籍を保有しています。出生地主義の面白いところは、駐在員とか日本国籍(のみ)保有者同士の間に生まれた子どもであっても(極端な話、米国籍を持たない不法滞在の両親の間に生まれた子でも)、米国籍が得られるというところ(条件的には米国大統領になれちゃう)。まぁ、仮にアメリカが血統主義だったとしても、ウチの場合は旦那が米国籍だから息子も米国籍を取得できるわけですがね(なお、米国土以外、例えば日本で生まれた子でも、両親の一方が米国籍保有者なら米国籍を取得できるので、アメリカも副次的?に血統主義を取っている感じかな)。

ごちゃごちゃ書きましたが(こんなん長ったらしく書いてる内に昼寝から目覚めちゃうわ)、つまりはアメリカ人でもあるジュリアンはアメリカのパスポートを申請できるってこと。

未成年(16歳以下)のパスポート申請の際の必要書類等:
  1. 子のアメリカ国籍の証拠(コピー不可。原本は返却される)
  2. 親権者の同意:親子関係の証明書類(子どもの国籍証明の証拠に両親のフルネームの記載がない場合。出生証明書には両親のフルネームが記載されているのでこれを提出する場合は不要)
  3. 両親の写真付きID(運転免許やパスポート。原本持参&コピー提出)
  4. 子の写真
  5. 申請書DS-11(ダウンロード可→こちら。サインの箇所以外を記入済のもの)
  6. 親の出頭
  7. 申請料(通常料金と特急料金で違いあり)
詳しくはこちらで確認→ここ



1について、アメリカでは生まれたときに病院で出生証明書(Certified U.S. Birth Certificate)の申請をするのですが、2週間程度で家に郵送されてきたので、これを米国国籍の証明の添付書類にしました。

サンタクララ群の出生証明書はこんな感じ(ネットから拝借)

脱線しますが、ソーシャルセキュリティーカードも2週間ちょっとで届きました。

カードと一緒に記念撮影。懐かしい新生児時代。

2については、出生証明書にジョータとわたしのフルネームが記載されているので不要。

4の子の写真について
For infants and newborns, lay the child on his/her back on a white blanket or sheet to ensure his/her head is supported without the aid of a hand. Make sure there are no shadows on the child's face if you are taking the picture from above. Alternatively, cover a car seat with a plain white sheet and take a picture of your child in the car seat.
これ難儀しました。新生児の目を開けている写真ってハードル高いし、手が写りこまないようにするのも大変。寝かすと影できるし。結局シーツに寝かして後ろからシーツごと体を起こして撮影。ジュリアン泣き叫ぶし・・・。あの手この手であやして、直前までおしゃぶりでごまかして。。。なんとか条件をクリアする一枚が撮れたので、これを規定のサイズにして現像して提出しました。それにしても、もう既に顔違うんですけど・・・5歳まで使うって無理あるよね。

6については、どこに出頭するんだ?って話ですが、わたしたちは郵便局でやりました(出頭場所等については→こちら)。そう、郵便局でできちゃうんです。ただ、ほとんどの場所が要予約。うちの最寄りの場所は、予約の場合早くて1ヶ月半先と言われたので、日本に帰省予定もあるしそんな待てるかっ!ってなわけでウォークインできる郵便局を調べて行ってきました。

わたしたちが行ったサンノゼの郵便局では、9時から受付で1日40組にのみ整理券が配布されるとのこと。8時半頃到着したところ、既に長蛇の列。。。DMV(アメリカの運転免許センター的場所。いつも恐ろしい列ができているin Santa Clara)ですか?って感じ。40組に入れない事は火を見るよりも明らかだったので、ノコノコと退散。翌日、朝5時に起きて(これはいつもの授乳時間だからジュリアンが目覚まし代わりになりました)6時には出陣。それでも到着すると既に4人並んでる。。。徹夜組ですか!?車に乗せたジュリアンの世話を交互にしながら約3時間並び、やっと手続き完了しました。ジョータと一緒に右手を挙げて宣誓したり、ちょっとした儀式って感じで面白かった。

7の申請料金について、日本帰省のチケット買いたいから早いに越したことがないってことで特急にしました。手続きの特急&配送の特急で追加料金発生したけど、まぁ良し。料金については→ここ

そして、きっちり2週間後にジュリアンの初のパスポートが届きました。玄関先に放置されてたのがアメリカっぽいけど。


これで外国も自由に行けるようになったね。日本帰省はチケット買ったものの、ジョータの仕事の都合で行けるかどうか五分五分の状態になっていますが、なんとか帰れることを願ってます。

以上、ジュリアンの米国パスポート申請についてでした。
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2ヶ月健診〜注射をブスッとな〜【2015年7月24日】

以下の記事は2015年7月24日に書いたものです。

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今日は息子の2ヶ月健診がありました。生後3日、2週間、1ヶ月と続いた健診。今までは主に体重の増え具合を中心にチェックしていましたが、今回の健診のメインは何と言っても予防接種。

アメリカでは2ヶ月健診でワクチンの同時接種を行います。聞きかじった話では、日本では定期接種と任意接種とかあって親がスケジュールとか決めなければいけないのかな?こちらでは既にスケジュールが決められていて、全てのワクチンを否応なしにブスブスやられます。生まれる前に小児科医の先生を決めて、担当の先生にずっと診てもらうシステムなので、打ち漏れも防げるし、子どもの健康状態を全て把握している先生にやってもらえるので安心。

注射されるなぞ露知らず、「どこいくの〜」とご機嫌なジュリアン

病院に着き受付を済ませて、待ち時間で問診票に答えます。子の成長に合わせて質問内容が変化してる。YES・NOで答える質問で今回は、

  • 首が安定してきたか
  • 目で物を追いかけるか
  • 親の顔をじっと見つめるか
  • 笑顔を見せるか
  • 物をつかもうとするか

などの質問項目でした。また、母乳育児と産後うつに関する質問も引き続きありました。

待合室には色んな年齢、人種の子どもがいるので、観察していて面白い。今日はインド系、ヒスパニック系そしてアジア系(多分中国系かな?)の子がいました。純アジアンな子を見ると、うちの子は白人っぽいな〜なんて思います。で、案の定ジョータが、「ジュリアンが一番立派じゃね?」と親バカ炸裂させてくる。でもやっぱ"我が子は特別にカワイイ"フィルターが脳にかかっちゃってるから仕方ないよね。

そんな親バカ会話をコソコソしていたら(わたしたちの会話は100%日本語なので、聞かれても大丈夫かと思っていたところ、ここベイエリアでは日本語がわかる人がけっこうおり、実は解読されていたという気まずい瞬間を経験したことがあり、それ以来、日本語の会話にも気をつけている。。。って別にそこまで毒吐いているわけじゃないっすよ、念のため)、ジュリアンの名が呼ばれて診察室へGO。診察台に乗せられ、身ぐるみはがされ、素っ裸で看護師さんに頭囲と体重と身長を測定される息子。その後、先生登場。成長具合について、平均よりも小柄だけど(多分アメリカの成長曲線で20パーセンタイルくらいか?)、発育具合は順調だし彼なりにしっかり成長しているから大丈夫だと言われました。子の成長には個性があって、今小柄でも後でぐんぐん伸びる子もいるし、今大きくても将来は小柄な大人になる人もいるとのこと。うん、他人と比べず、この子のペースを大事にしよう。胸に聴診器を当てて心音を確認したり、お腹を触ったり、へその具合を見たり、割礼の経過を確認したり・・・一通りチェックが済んで「完璧に健康」とのこと。ジュリアンの腕をつかんで持ち上げたところ、首がガクガクせずにちゃんと安定しているじゃないか。首も順調に据わってきているようです。

そして遂にワクチンの時間到来。

  • DTap (diphtheria, tetanus and pertussis) ジフテリア、破傷風、百日咳
  • Hib (haemophilus influenzae) ヒブ感染症(インフルエンザ菌)
  • Polio ポリオ
  • Pneumococcal Conjugate 肺炎球菌感染症
  • Rotavirus ロタウィルス感染症
  • Hepatitis B B型肝炎

これ全部一気にやっちゃうそうで。。。名前ずらっと並べるとちょっと恐ろしいな。ロタは経口投与ですが、それ以外は注射。

息子は生後すぐにビタミンK注射をされたことがありますが、今はもうちょっと物事がわかり始めている時期なのでね、ニコニコしている顔を見ていると、これから待ち受ける痛みで泣くんだろうな〜かわいそうだな〜って思っちゃいます。でもこれを乗り越えて強い男になってくれ!

左の太ももに一本、右の太ももに2本、ぶっとい注射が刺さりました。もちろん「うおんぎゃ〜!!!!!」と泣き叫ぶ。先生すかさず口にスポイトでロタワクチン投与。これが甘くて美味しかったのか、ピタッと泣き止むジュリアン。そして何事もなかったかのようにまたご機嫌に。あら、意外と大丈夫だったみたい・・・。親の方がソワソワしちゃったよ。ジュリアン逞しいじゃん。

こうして2ヶ月健診の予防接種が終わりました。家に帰ってから、最近では珍しくよく寝ています(だからブログ更新できたよ)。予防接種の影響か、昨晩2時間置きに起きたからか?熱が出たりした時のために子ども用のタイレノールも買ってありますが、何事もなく乗り越えてくれればいいな。

以上、2ヶ月健診の様子でした。
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【アメリカの予防接種スケージュールについて】
ちょっと見えにくいかもしれませんが(クリックで拡大できます)、下の写真がアメリカ(うちの病院)の健診と予防接種のスケジュールです。


1歳になるまでは、2週間健診と9ヶ月健診を除いてガンガン同時接種されます。ちなみにアメリカではBCGはありません。そういえば、昔、ジョータが「日本人の腕のポツポツしている痕って何?」って聞いてきたことがあったな〜。

そうそう、ジュリアンは病院から帰った後、しっかりと発熱しました。。。けっこうぐったりして心配しましたが、準備していたタイレノールをあげたら下がり、元気を取り戻しました。

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生後2ヶ月【2015年7月17日】

以下は2015年7月17日に書いた記事です。

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今日で生後2ヶ月の息子。1ヶ月を過ぎてからは外出も増え、人生の初めてをいっぱい経験しています。初めての花火、初めての飛行機、初めての雨(ベイエリアは雨がほとんど降らないから、ウィスコンシン州で経験)。わたしたちも親としての初めての体験をジュリアンと一緒に楽しんでいます。

発育については本当に目覚ましい。別に他の赤ちゃんと比べてとかではなく、昨日のジュリアン今日のジュリアンって具合に、彼のペースで毎日毎日少しずつ成長を見せてくれます。ちょっと前まで全く関心を示さなかったプレイジムで急に遊ぶようになったり、目でわたしの顔を追いかけたり。手足の動きもだいぶスムーズになりました。授乳をするときに胸ぐら掴まれたり・・・。自分の手の存在に気が付く「ハンドリガード」も一昨日(7月15日)にしました。首はまだ少しぐらつくものの、けっこう据わってきた感じ。うつ伏せ運動をするとグイッと頭を持ち上げて左右を見回したりします。「アングラー」「アングー」とかよくしゃべる。

ハンドリガードの瞬間。拳をじっと見つめていました。

泣くときはオムツ7割、空腹2割、意味不明1割って感じです。布オムツを使っているせいか、オシッコをすると不快感を感じて教えます。毎度毎度交換するのがちょっと面倒だったりするけど(息子よ、面倒臭がりな親でごめん)、ふたりで「湿気が嫌いな男が泣いてるよ〜」なんて言ってお互い押し付け合いながらオムツ替えしています(ちなみに大きい方は1ヶ月過ぎた頃から基本2日に1回のペースに落ち着きました。わたしたちはこれを「コード ブラウン」または「爆発」と呼んでいる)。それでも、ジョータは育児にけっこう積極的な方だと思う。シャワータイム(風呂には入らず、座って足の上に息子を置いてシャワーを浴びている)はジョータのお気に入りの時間。スキンtoスキンならぬチンtoチンとか自分で命名して楽しんでる。。。バカだわ。

外見に関しては、これまたコロコロ変わる感じで面白い。日光の下にいると白人っぽさを感じるんだけど、部屋の中ではアジアンな雰囲気を醸します。目の色はまだブルーグレーをキープ中。生まれた時よりももっと明るい感じになってきた気もするけど、まさかブルーになることは無いだろうな〜。髪の色は少し赤毛っぽくなっています。あと、まつ毛が非常に長くて驚く。赤ちゃんなのにね、羨ましいぜ。そうそう、アジア人の赤ちゃんには一般的に蒙古斑があるのですが、ハーフの場合ある子と無い子がいるみたいで、息子にはありません。

母乳育児については、ほぼ完母。休日に睡眠を長めに取りたくてジョータに見ていてもらうとき、帰省中ジジババと交流するときなどなど、はフォーミュラ(粉ミルクのこと。アメリカでは粉以外にミルク状のものも売っています。楽チン)を使ったりします。哺乳瓶からもごくごく飲んでくれるので本当に助かる。母乳の出を良くするためにやっていることは、病院で勧められたハーブティーを飲むくらい(こちら)。和食がいいってよく聞くけど、インド人はインド料理食べて乳出してるだろうし、メキシコ人はメキシコ料理食べて乳出してるだろうし、食事にはこだわらず、食べたいものを食べてます。ストイックになり過ぎてストレス溜めるのは良くないのでね。

こんな適当な感じのわたしですが、それでも母乳が出てくれるのはありがたい。でも、出が悪い日はファーミュラ足すこともあるし、何よりも一番大切なのは、子どもがお腹を空かせず、きちんと成長してくれること。母乳育児を取り上げておいて矛盾するみたいだけど、母乳育児にがんじがらめにされないことが母親の精神衛生と子どもの健やかな成長に必要だと思う。ってこんなこと思ったのは、ネットの母乳販売とかいささか異常だと思ったからなのですが(厚生労働省より→こちら)。。。極端な母乳信仰で見ず知らずの他人の乳あげるより、衛生面に問題がなく栄養価の高いフォーミュラの方が健全だと思うわ。

息子の成長記録から話が逸れましたが、育児2ヶ月目の所感でした。来週の金曜日には1週間遅れの2ヶ月健診があります。予防接種が待っている〜。泣くだろうな、絶対。がんばれジュリアン!
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2016年3月21日月曜日

2015年独立記念日周辺の出来事【2015年7月8日】

以下の記事は2015年7月8日に書いたものです。

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7月4日はアメリカの独立記念日でした。去年はウィスコンシン州で過ごしたっけ。1年って本当に早い〜。去年の今頃は、1年後の独立記念日に息子がいるなんて夢にも思わなかったなぁ。そんな今年の独立記念日、ジョータの会社が木、金と休みで土日合わせて四連休だったので、ジョータの育休以来久々に家族3人でゆっくりと過ごすことができました。

2日の木曜日は、わたしのたっての願いで、約1年ぶりくらいに美容院へ行かせてもらいました(妊娠中から放置された髪はもう見るも無残な状態だったので、耐えられなくて・・・)。これがジュリアンが生まれてから初の1人外出。息子を置いていくのはちょっと気が引けましたが、ジョータが「男同士で楽しくやってるから大丈夫、大丈夫」と言ってくれたので、それじゃお言葉に甘えてということで。お陰でボッサボサだった髪はなんとか文明を感じられるような雰囲気になりました。

今回美容院へ行って驚いたこと。まぁ、驚いたというか以前と変わったことなんですが、前は自分のコミュニケーション能力の低さのせいで美容師さんと会話が続かず、雑誌に逃げるというのが常だったんですね。。。それが今回は、担当の方(日本人)がハーフの子2人のママだということがわかって、出産と子育ての話題で盛り上がる盛り上がる。最初から最後まで喋りっぱなしでした。引きこもっての育児でやっぱりちょっと精神的に蓄積していたストレスがあったので、それを共感してもらえる人と思い切り話せたのは良かったです。髪だけじゃなく心もサッパリ。


次の日、3日の金曜日は3人でちょっと出かけてみようということで、スマッシュバーガー(最近、IN-N-OUTCulver'sの次くらいに気に入っているハンバーガー屋→HP アボカドバーガーがわたしのお気に入りです)で昼食を食べた後、サンフランシスコまでドライブ。Pales of Fine Arts(こちら)へ行き散歩しました。


ダディにベビービョルンで運ばれるジュリアン。ジョータ悪人面してるわ

シリコンバレーが晴天で暑くても、サンフランシスコは濃霧で涼しい。東京と小田原程度の距離なんだけど、天気がガラッと変わります。ジュリアンがグズグズしだしたので、その他の場所には寄らず帰りましたが、みんなでドライブしているだけでも楽しかったです。


4日の独立記念日、日本人の友人が屋台でイカを焼いているというので、昼過ぎに「夏祭2015」というイベントに行ってみました(こちら)。中に入ると日本人がいっぱい。国際カップルよりも日本人同士のカップルが多い印象だったので、ほとんどが駐在員の人たちだったのかな〜。普段こちらの日本人社会との絡みが全くないので、新鮮な感じがしました。子ども連れも多く、あ〜こっちにこんなに日本人の子どもがいたんだ〜なんて思ったり。ジュリアンがもっと大きくなったら日本人の友達できるかな?なんて先のこと考えていたら、ジョータが、「オレさ、日本大好きだけど、独立記念日ってアメリカの日じゃん?この日だけは焼きイカじゃなくてホットドック食べてアメリカっぽいことしたいんだよね」といきなりアメリカ人を炸裂させてきたので、わたしだけ焼きイカを頬張りながら家に帰りました・・・。

その後、台湾人と広東人の友達カップルが我が家に遊びに来ました。ジュリアンと遊んでくれて、早期中国語教育もしてくれて(単に中国語で話しかけられているだけ)、機嫌が良くなったジュリアンがウトウトしている間にみんなでボードゲームしたりして楽しみました。台湾人の友達は語学学校でできた友達なんだけど、今は就労ビザを取得し、あちこち飛行機で飛び回って忙しく働いています。彼女の広東人の彼氏は、スタートアップを始めてバリバリ頑張ってる。現在子育てで完全に家に入ってしまっているわたしは、働きながらキラキラしている彼らのことをほんの少し羨ましく感じましたが、これは完全に無いものねだりね。

独立記念日と言ったら花火。夜になり、みんなでサンタクララの公園へ花火を観に行きました。公園の周辺は混んでいて交通規制もあるため、1マイル(1.6キロ)ほど離れた場所に車を駐車し、会場まで歩きました。途中、メキシコ系の人たちが自分たちの花火を上げて盛り上がっていて(軽く治安が悪い)、彼らの花火がこっちに飛んでくるんじゃないかとちょっとビクビクしましたが、無事会場に到着。人が多すぎて、公園のフェンスの中に入ることができませんでしたが、フェンスの中は人で溢れかえっていてゾンビ映画みたいになっていたので、花火は少し遠くなっちゃったけど、ジュリアンのためにも外側で良かったと思います。ゴッドブレスアメリカ〜と盛り上がりながらバンバン打ち上がる花火。

拝借したイメージ

ジュリアンにとって初の独立記念日、彼は抱っこ紐の中で最初から最後まで寝ていたけど、親のわたしたちにとっては、なかなか感慨深いものになりました。


そんなわたしたち、グランマの60歳の誕生日パーティーに参加するため、明日からウィスコンシン州入りします。ジュリアンは初のフライト。4時間程度なので大丈夫かな?日本行きの前の予行練習といった感じです。小児科の先生いわく、「今は動き回らないし、1ヶ月過ぎて抵抗力もついてきているから、旅行にはベストだよ」とのこと。こっちは赤ちゃんの外出にけっこう積極的です。イベントには親戚一同が集まるのでジュリアンのお披露目会にもなるかな〜。楽しんで行ってきまーす。
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【赤ちゃんの外出について】
日本だと、赤ちゃんの外出は首がすわってからがいいなどとよく言われていますが、アメリカでは(わたしたちの小児科医によれば)、生後1ヶ月を過ぎたら外出OKで、飛行機なども問題ないとのことでした(日本ほど首すわりについて重視しないような印象です)。なので、わたしたちはジュリアンをけっこういろんな場所に連れて行っていました。

生後10ヶ月になった今、動き回りたくてじっとしていないし、自我が目覚めてきて、嫌なことがあると叫びまくる、そして人見知り。正直前よりも外出がシンドくなっています。。。先生が言っていた、「旅行にはベスト」という言葉の意味がよくわかったわ。確かに、この時期は動かず寝てばかりだったし、体重も軽くて色々と楽でした。

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息子の名前は【2015年6月30日】

以下は2015年6月30日に書いた記事です。

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名前は親から子へ贈る最初のプレゼントと言われますが、このプレゼント選びがけっこう大変。一生その名前で生きていく我が子の事を思えば(改名は不可能ではないけど)、迂闊な名前は付けられません。親の責任重大!

ハーフの場合、バックグラウンドが多様なので、その名付けもちょっとややこしいです。アメリカ名どうしよう?ミドルネームどうしよう?日本人的な名前は付ける?アメリカと日本の名前を統一させる?などなど。。。わたしたちは当初、子どもの性別をサプライズにする予定だったので、男子と女子の名前を両方考えていました(11回目の妊婦健診で先生が口を滑らせて性別が発覚してしまいましたが・・・

男子だと旦那の一族の初の男孫になることから、ファーストネームは先祖代々引き継いでいるものを踏襲することが決まっていました。ちなみに、旦那もそのファーストネームを引き継いでいます。日本だと代々ひとつの名前を引き継いでいくことはない(よね?)と思いますが、海外では珍しいことではありません(世界史で同じ名前がいっぱい出てきて覚えるのに苦労したわ)。こういう伝統的なものを嫌う人もいますが、わたしは、せっかく幾つもの世代に渡って伝わってきたものだし(歴史が古くて、ジョータは自分が何世なのかすら知らない)、自分の家族やルーツを大切に思って欲しいという気持ちがあったので、我が子にもこの名前を付けることに同意しました(グランパが特に付けたがっていた、と言うか付けて当たり前だと思っていた)

こうしてファーストネームは自動的に決まっていたので、わたしたちはミドルネームについて色々考えました。実際、このミドルネームが息子の使用する名前になるので、わたしたちからのプレゼントはこのミドルネームということになります。ちなみに、いつも旦那をジョータと呼んでいますが、この名前の由来になっている彼の本名もミドルネームです。親、兄弟、親戚、友人全員が彼をミドルネームで呼んでいます。

☆ジョータの名前→ヘンリー(仮名)・ジョータ・苗字

日常生活では「ジョータ・苗字」で通しているため、彼のファーストネームを知っている人はごく限られています。

さて、息子の名前ですが、色々バリエーションが考えられるため悩みました。
候補:

  1. ヘンリー(仮名)・ホニャララ・苗字(ジョータの苗字)
  2. ヘンリー(仮名)・ホニャララ・苗字(パグ子の苗字)・苗字(ジョータの苗字)
  3. ヘンリー(仮名)・ホニャララ・苗字(パグ子の苗字)ー苗字(ジョータの苗字)
  4. ヘンリー(仮名)・ホニャララ・ホニャララ・苗字(ジョータの苗字)
  5. ヘンリー(仮名)・ホニャララ・ホニャララ・苗字(ジョータの苗字)
  6. ヘンリー(仮名)・ホニャララーホニャララ・苗字(ジョータの苗字)
大体こんな感じ(書いていて「苗」という字のゲシュタルト崩壊が起こったよ)。まずパグ子の苗字を入れるか話し合いましたが、日本名はパグ子の苗字一本にする予定だったので、アメリカ名はジョータの苗字だけにすることにしました。気に入っている名前が2つあったので、ミドルネームを複数付けることについて考えましたが、ちょっとゴチャゴチャするし、ハイフンでつなぐとしつこい印象になる組み合わせだったので、1つに絞ることにして、もうひとつの名前は、次の子ができて男の子だったら付けようってことになりました。

結局、息子のミドルネームは、ジョータの恩師のマサチューセッツ工科大学の教授の名前からもらうことにしました。この名前、わたしの好きな歌や、わたしたちの好きなDS9のキャラクターにもつながっている名前なので、とても気に入っています。

なお、ハーフだと日本人的な名前を入れる親御さんが多いかと思いますが、うちは日本人的な名前は付けませんでした。日本の出生届は「苗字(パグ子の苗字) ホニャララ」でカタカナ表記で提出予定です。正直これは悩みましたが、息子の場合、ハーフで外見も伝統的な日本人とは少し異なるだろうし、無理して「太郎」みたいな日本名を付けると違和感があるのではないか、これからの時代はもっと国際的になっていくし、外国人的な名前一本でも問題なかろう、と考え決断しました。漢字については、森鴎外の子ども達みたいな名前は素敵だと思うけど、うちの息子の名前の響きに漢字を当てるのはちょっと無理があり、「苺愛」で「ベリーア」みたいなキラキラな雰囲気になるのを避けたかったので止めました。漢字に拘ってないし。

ということで、息子の名前は、

☆アメリカ名→ヘンリー(仮名)・ジュリアン・ジョータの苗字
☆日本名→パグ子の苗字 ジュリアン

で正式に決定しました。このブログでは胎児時代からチビチビ言っていましたが、これから息子について言及するときはミドルネームのジュリアンにしたいと思います。

ジュリアンです。よろしく。この顔、ちょっとブルース・ウィリスっぽいのでブルースの方がよかったか?

余談ですが、最近日本ではシワシワネームがキラキラネームの次のブームになりつつあるそうですね。(本当か?)アメリカでも、古風な20年代の名前が復活しつつあるみたいです(→こちら)。わたしの祖母は今年97歳になりますが、大正生まれの彼女の名前は「ムメ」です。斬新さを感じます。名前って面白いわ。

以上、息子の名付けについてでした。
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【追記】
ジュリアンの英語のアダ名はジュールズらしいんだけど、わたしはジュジュ丸とかじゅじゅモンとかテキトーに呼んでいます。ちなみに、中国人の友達から中国だと「朱利安」になるって教えてもらいました。この漢字けっこう気に入っています。ジョータが考えた「樹林庵」よりずっといいわ(峠の蕎麦屋みたいだし)。

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2016年3月19日土曜日

ジョータのFirst Father's Day【2015年6月29日】

以下は2015年6月29日に書いた記事です。

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前の前の日曜日は父の日でした。5月の母の日にはまだお腹の中にいた息子。わたしの初母の日の祝いは来年に持ち越しになりましたが、ジュリアンが生まれ、ジョータは今年の父の日を父となって迎えることができました。

父の日の朝、ジョータに「今日何したい?」と尋ねたところ、欲しい靴があるからギルロイのアウトレットに行きたいとのことだったので、三人で出かけることにしました。ジュリアンにとってはこれが本格外出(今まで病院とか公園とかちょこちょこ外に出ることはありましたが、人混みを避けていたし車でも30分以上の距離は乗ったことがなかった)

仏頂面で窓の外を見るチビ

車は好きな様子で、カーシートに乗せると泣き止んで眠るので助かります。ときどき目を開けて窓の外の景色を見ている(ちゃんと見えているかは謎。見えていないんだろうな)。

ギルロイではチビを抱きながらレストランでランチも食べ、ジョータはパールイズミの店で気に入ったランニングシューズを購入。その後はとにかくチビの服服服。GAPとcarter'sでわんさか買ってしまいました。

買った服

大きめの服も買ったので、成長して着れるようになるのが楽しみ!それにしても、ジュリアンが生まれる前にジョータは「チビの服は成長してすぐに着れなくなるし、極力買わないぞ」なんて言っていたのに、今じゃ鼻息荒くして買い漁ってるよ。。。完全に親バカ爆発です。

ギルロイから戻った後はCostcoへ。実はわたしたち、アメリカに住んでいながら今までCostcoの会員になっていなかったのですが(ジョータの親が会員なので、親と一緒にいる時だけ行っていた)、チビが生まれて消耗品とか大量に必要になるかも〜ということで、今回Executive Memberになりました。

チビを連れているので、色んな人から「Happy Father's Day!!!」と声をかけられるジョータ。見知らぬ人でもこうやって挨拶しあうのがアメリカの良いところだな〜なんて思います。Costcoでショッピング中、ジュリアンはジョータの胸に抱かれ、始終寝ていました。チビさん、基本外出中は寝ているな。

父の日だったけど、結局息子中心の1日になりました。でも、こうやって家族で出かけるのがダディにとっての幸せだそうで、良い父の日になったよね!
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今年は遂に初母の日だ〜!


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1ヶ月が経ちました【2015年6月17日】

以下は2015年6月17日に書いた記事です。

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今日でちょうど生後1ヶ月の息子。早かったような長かったような。生まれたばかりの時は寝てばかりいましたが、最近では起きている時間が多くなり、キョロキョロと周りを見回したり、指をしゃぶったり、少しずつだけどしっかりと成長を感じさせてくれます。

最近のお気に入り、ライオンおしゃぶり。

表情も豊かになり、観察していて飽きません。たまに見せる笑顔(新生児微笑。生理的なものなので楽しくて笑っているわけじゃない)がそれはもう可愛くて可愛くて、完全に親バカになっちゃっています。

顔もコロコロ変わって面白い。生まれた時は顔にむくみがあって、アジア人寄りな雰囲気でしたが(病院で「お母さん似ね〜」とよく言われました。やっぱり自分に似ていると言われるのは嬉しかったな)、日が経つに連れて段々とハーフっぽくなってきました。生まれる前に外見の予想をしましたが、今のところ髪はブラウン、眉毛とまつ毛はハニーブロンド、体の産毛はブロンド、目は二重で色はブルーグレーです。これからどんな風に変わっていくのかしら。

ETみたいな顔をしています。ドライブが大好き。

生まれてすぐに生理的体重減少で300グラムくらい体重が減り、その後なかなか増えなかったため、夜だけフォーミュラを足すことにしたのですが、その後順調に成長してくれて安心しました。夜は平均2回起きており、1回ずつのジョータとの交代制。ジョータの回にフォーミュラをあげています。最近は母乳の出も良くなってきたので、フォーミュラの量を減らし、搾乳したものと合わせており、そのうち母乳一本でできるかな〜と思っています。まぁ、健康に育ってくれるのであれば完母にこだわっていないので、臨機応変にやっていきたいです。

そうそう、先日グランパとグランマとロスおじさんが遊びに来たときに、初の家族写真を自分たちで撮りました。8月には日本帰省も予定しているので、わたしの両親&祖母(ジュリアンの曾祖母)ともたくさん写真を撮りたいな。

みんなに愛されて、すくすく成長している息子。これからも元気に逞しく育って欲しいです。
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【後日談】
ジュリアンは生まれた時は3000gを超えていて日本の平均よりも大きめでしたが、その後生理的体重減少を経て、生後3日の小児科健診(退院後初外出。色々ボロボロなのに病院まで行かねばならず、かなり辛かった・・・。)、経過観察の1週間健診でも減った体重から戻らず、「きっと母乳が出ていないんだ、自分のせいだ・・・」と思い詰め、精神的にかなり辛い思いをしました(健診中に泣いたりもした。。。)。その後色々と苦労しましたが最終的に母乳も軌道に乗り、完全母乳になり、離乳食をもりもり食べる10ヶ月の今もパイを愛して止みません。母乳育児についてはまた改めて書きたいな。


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2016年3月12日土曜日

産後6週間チェックアップ【2015年7月8日】

以下の記事は2015年7月8日に書いたものです。

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日本では子どもの1ヶ月健診で母体の状況もチェックするみたいだけど(ですよね?)、アメリカでは、母体については、子どもの1ヶ月健診(これは子どもの担当医である小児科医が行う)とは別に、出産の6週間後に産婦人科で自分の担当医(妊娠時に診てくれていた先生)にチェックしてもらうのが一般的。今回は、この6週間健診についてレポートしたいと思います。


わたしは先週の金曜日にsix-week postpartum checkupに行ってきました。5月13日の最後の妊婦健診以来の産婦人科。久々に会う受付のお姉さん達がとびきりの笑顔で「Congratulations!!!」と言いながら迎えてくれました。ジュリアンも一緒だったので、みんなにお披露目。ビューティフルだ、ゴージャスだ、とこれでもかと褒めてもらえて、ジョータもわたしも親バカとしては最高の気分。ひとしきり歓談した後、問診票を渡され、待合室で記入。

問診票は主に産後の精神的な部分についての質問で、産後うつになっていないかを確かめるものでした。「いつも楽しみにしていたことが楽しみじゃなくなった」「全て自分のせいにして自分を責める気持ちになる」「死にたいと思ったことがある」等のけっこう暗い内容の質問に、1,よくある2,たまにある3,ほとんどない4,全くない、の四択で答えていきます。産後うつは放っておくと重症化して慢性的なうつ病に発展する可能性があるので、自分が当てはまりそうだったら、ちゃんと答えて、しっかりとケアしてもらうことが大切。わたしの場合、ホルモンの関係で涙もろくなったりイライラしたりということ(ガルガル期?)はありましたが、そこまで深刻化せず、問題なく過ごせているので、全ての質問の答えは3か4でした。

記載が終わるとすぐに呼ばれたので、医療セクションに移動。体重と血圧を測定し(体重・・・残りの4キロがまだ戻らん・・・)、看護師さんと出産の話や最近の生活について雑談した後、先生が現れるまで診察室で待機。胸の検査と内診があるので背中のガバッと開いた検査着に着替えて待ちます(ブラだけは外さなくてOKとのことでした)。残念なことに、妊娠中ずっと診てくれていた担当医がこの日休みで、新しい先生に診てもらうことになっていました。担当医は女性でしたが、新しい先生は男。若いイケメンだったらどうしよ〜なんてジョータにふざけて話していました。

先生登場。白人の普通のおじさんでした(先生ごめん)。健診台に座り、精神的な状況と身体の状況について質問に簡単に答えた後、内診。いつものごとく下半身側に置かれた椅子にボケ〜と座っていたジョータに対して先生が「頭の方に移動した方がいいよ、ロマンスが無くならないようにね」と一言、それに対し「出産中もずっと見てましたから・・・」とジョータ。その「・・・」は、a,出産中もずっと見ていたからもうロマンスはありません。b,出産中もずっと見ていたけど、それでもまだロマンスがあるので大丈夫、のどっちだよ?と心の中で問い詰めるわたし。うん、bであることを願おう。結局ジョータは頭の方に移動しました。

内診により、会陰切開の傷口の一部に血の塊のようなものがあることが発覚。よくあることだそうで、処置(薬で焼くようなこと)をすれば固まって治りが早いからやっておくねとのこと。専門用語が出てちょっと聞き取りにくかったため、ジョータに日本語で確認したところ、先生が、「君たち日本語しゃべるのかい!!」といきなり興奮気味に食いついてきました。先生の出身地であるミシガン州のカラマズ市が静岡県の沼津市と姉妹都市だそうで、先生は沼津が好きだとか。沼津ってわたしの実家の近くだし、なんという奇遇。世界は狭いな、って思いました。更に、「日本の国歌歌える?」とジョータに質問してきた先生。歌えないと答えたジョータに対し、いきなり君が代を歌い出した先生。しかもわたしのあそこを薬品で焼きながら。。。これがけっこう痛かったんだけど、先生の調子ハズレの君が代を聞いていて痛みがごまかされたわ。

処置終了後、今後のセックスについての説明。母乳育児中でも妊娠の可能性があるため、計画的に次の子を作りたい場合は避妊が必要です。母乳に影響しないピルが存在するとのことでしたが、身体が完全復活するまではピルの処方は待つことにしました。その他、処置をしたのであと1週間は控えること、母乳育児中は粘膜が薄くなっているから激しいセックスはしない方がよいことなどなど説明を受けました。

こうして6週間チェックアップは終了。目下のわたしの課題は、体重を元に戻す事。ほぼ完母なのにね、減らない。きっと食べ過ぎてるんだわ。骨盤がまだ開いてるので(腰痛はないし、6ヶ月くらいで自然に戻るそうなので、ほにゃららベルトとか使っていない)、それに伴い締りがなくなった腹をなんとかしなくては!家にジムがあるので、そろそろ通い始めようかと考えている今日この頃です。

以上、6週間チェックアップのレポートでした。
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【後日談】
その後の体の変化について少し追記したいと思います。

  • 体重:現在は妊娠前の体重になんとか戻りました(年末にノロになって一気に戻った。あとは寝不足と母乳育児でのヤツレ・・・)。
  • 体型:お腹周りの皮膚がやっぱり少したるんでいる気がする。直立に立っているとわからないけど、かがむとシワができる。骨盤などの開きは自然と戻ったようで、妊娠前のジーンズ等タイトなものも履けるようになりました。
  • :シミが濃くなった気がする。正中線もまだ薄っすら残っているので、メラニンが増えたままの状態になっちゃったのかも(切ない)。
  • 髪の毛:産後4ヶ月過ぎくらいから前髪を中心に抜け始めました。それまで抜けなかった毛が一気に抜けるからビックリするけど、薄毛になる程ではなかったのでよかった。今は抜け毛も落ち着いています。ただ、抜けた後のアホ毛がピンピンヒョロヒョロと生えていて、髪型が決まらず恥ずかしい。
  • 生理:11月に復活しました。いつ頃復活するかは個人差があるようだけど、出産後半年は早い方かしら?母乳育児なのでもう少し遅れるかと思っていたのだが。。。1年以上なかった生理、妊娠前と比べて、生理痛がなくなったことはよかったけど(生理痛がかなり重いタイプだった)、やっぱり来ないほうが楽でよかったわ。
ちなみに、産後のトラブルとして尿漏れとか聞きますが、わたしは運良く(?)そういった問題はありませんでした。アメリカでは妊娠中から骨盤底筋体操(ケーゲル体操)の実施をけっこう勧められるんだけど(ケーゲル体操について→リンク)、暇な時にこっそりやっていたのが効いたのか?


これにて妊娠〜出産関連の記事はひとまず終了。次回から子育て編です。少しの間まだ過去記事のアップが続きますが、早くリアルタイムに追いつくように頑張ろ(ノロノロしてると1歳になってしまう・・・)。

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アメリカで出産〜出産後から退院まで〜【2015年6月26日】

以下は2015年6月26日に書いた記事です。

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イギリスのキャサリン妃が出産の半日後に退院したことについて、日本では早すぎる〜って話題になったそうですね(日本は一週間くらい入院するのかな?)。アメリカでは経膣分娩で母子ともに異常がない場合、二泊で退院するのが一般的です。わたしは、5月17日の午前3時半に入院し、5月19日の午前11時に退院しました。今回は出産後〜退院までの流れについて、アメリカの病院での体験を書きたいと思います。


【出産直後】
5月17日、午前7時13分、元気な産声を上げた息子。すぐにわたしの胸の上に置かれ、skin-to-skin(カンガルーケア)をしました。生まれたての息子、予想以上に大きくてシワもなくプリンプリンしていて、この生命体がちょっと前までお腹の中にいたのかい!?ってとても不思議な感じがしました。可愛いとか愛おしいとかそういう感情はまだ沸かず、ただただ生命の神秘というか生き物の凄さというか、ナショナルジオグラフィック的に客観的に感動していました。

初乳を与えたり(生まれたてなのに逞しく吸い付いてきて、ちゃんと生きる術を身に付けているのね〜と関心した)、チビの顔をまじまじと見たりしている内に、胎盤が出たり、会陰切開の傷を縫われたりしていましたが、無痛の麻酔が効いているからか全く何も感じない。旦那は持ってきたカメラでわたしとチビの初の交流を記録に残していました。その後、チビは体重と身長を測定しビタミンKの接種をし、ジョータに抱かれ父とのボンディングタイム。

体重は7ポンド7オンス

ひとしきりチビと戯れ、両家の親族に電話連絡を入れ、看護師さんと雑談している内に後処置が終わり、わたしはストレッチャーに乗り入院する部屋へ移動しました。母子同室なのでチビも一緒に移動。ジョータも入院グッズなどの荷物を持って移動。途中すれ違った看護師さんたちから「congratulations!!!」と声をかけられました。


【入院生活】
入院する部屋はもちろん個室。出産の部屋より小さい部屋でしたが、ビジネスホテルのような感じで快適でした。パートナー用の簡易ベッド(ベッドになる椅子)もあり、ジョータはそれを使用して二日間宿泊し一緒に過ごしました。日に二回程度寝具を新しくしてベッドメイキングもしてもらえました。

ジョータのベッド(兼荷物置き)

出産後待ち受けている関門
出産後の第一関門はオシッコ。。。移動直後はまだ無痛の麻酔が効いていて(2時間位は足がピリピリしていたけれど、その後徐々に感覚が戻ってきた)歩くことができないので、出産時から引き続きカテーテルを尿管に挿入していましたが(麻酔のおかげ?で挿入時も何も感じませんでした)、しばらくして外しました。とにかく水分を大量に摂るように指導され、朝食後(と言ってもバタバタしていて10時過ぎに食べた)なんとなく尿意を感じたような気がしたので看護師さんを呼び、ベッドから立ち上がってちゃんと歩けることを確認し、付き添われて部屋の中のバスルームに移動し、便器に設置したカップ(尿の量等を確認するためのものかな)の中に自力でオシッコをしました。まだ痺れたような感覚があってちゃんと出ているのか不安でしたがなんとか達成。なお、看護師さん付き添いのトイレは2回だけで、その後は便器のカップも外し、普通に1人で用を足すことになりました。出産後のオシッコ、色々めちゃくちゃだし、悪露も酷いし、会陰切開もしていたので、もちろん普通に紙で拭けるはずもなく。。。簡易ビデになるボトルをもらって、水で洗い流しました。ちなみに大きい方について、これまた突破しなければならない出産後の関門(ある意味最大の関門)ですが、便秘薬も食事毎に処方されて、退院時にスッキリさせることができたので一安心でした。ただ、数日間はするのがなんとなく怖かったけど。


病院でもらえたものについて
洗い流し用のボトルの他に、ショーツや悪露用ナプキンについても使い捨ての物がもらえました。入院の持ち物リストにショーツ2枚と書いてあったので持参していましたが、正直いらなかったわ。実際、産後のめちゃくちゃな状態では、汚れても何しても気にならない病院のショーツが楽でよかったです。もちろん使い捨てなのでペラッペラでショボいのですが、メッシュで通気性もいいし、よく伸びるから産後のまだ膨らんでる腹にもいいし。わたしは比較的こだわりがないタイプなので、これで十分でした。退院時には余ったショーツとナプキンを持ち帰り、悪露が酷い数日は家でもこれを使用していました。これ以外にも、入院の持ち物リストに載っていた物のほとんどが不要でした(わたしの産院の場合です。→ここ)。本当、自前の物じゃなきゃ嫌よって人じゃない限り、着の身着のままで入院しちゃっても大丈夫だと思う(歯ブラシとかも使い捨てをもらえました←急な陣痛のため最後に入れようとしていた物を根こそぎ家に忘れた人・・・)。たった二晩だし。赤ちゃんの用品についても退院のときに着せるもの以外は全てそろっています。


入院中のスケジュール
入院中は母子同室ということもあっていきなり睡眠不足。しかも入院期間が短いため、あらゆる検査等が詰め込まれていて、わたしは大統領の秘書か(チビが大統領)ってくらい様々なスケジュールをこなさなければいけない。

壁にはられたやることリスト

☆入院中にしたこと
出産当日の5月17日
  • 母乳育児の指導(これは授乳の際に退院まで毎回あった)
  • 沐浴指導
翌日5月18日
  • 出生証明書(Birth Certificateについては手続きを全て病院でしてもらえた)
  • 両親へのワクチン(Tdap百日咳、破傷風、ジフテリアの三種混合と風疹。わたしは妊娠中にTdap接種済だったので風疹のみしました。ジョータは両方接種済だったので無し。)
  • カーシート取り付け指導(法律でカーシートの設置が義務付けられているため)
  • 聴覚検査
  • 先天性心疾患検査
  • 記念のフットプリント(その他写真のサービスも有料でありましたがジョータが断りました。。。)
  • ホームケア(これが何だったのか忘れた・・・)
  • マッサージ(リラクゼーションの音楽をかけながらのオイルマッサージ)
退院日5月19日
  • 新生児スクリーニング(血液検査。結果は後日と言われ、未だに結果が来ない)
  • 新生児黄疸検査(Jaundice血液検査。問題なし)
  •  退院手続(病院やナースについてのレビューなど)

チビの検査は、事前に見つけておいた小児科医の先生が産院に訪ねて来てやってくれました。この先生、白人で日本語は全くわからないのだけれど、なんと先生の息子が日本人女性と結婚しているとのことで孫はハーフ。わたしが日本人だと言うと「日本のどこ出身?」と聞かれ、「静岡です」って答えたら「本州だね」と。義娘が北海道出身だそうですが、本州だねっていう返しは予想していなくて面白かったわ。

☆割礼(Circumcision)について
そうそうチビ関連で重要なことがひとつ、It's a boyだったので、割礼(Circumcision)についてどうするか決める必要がありました。割礼って日本だと一般的じゃないと思うし、宗教的に行うイメージがしますが、アメリカの男子の場合60%以上が宗教とか関係なく幼い頃にやっているそうで、けっこう当たり前にやるものだと考えている人も多いです。うちは家族で話し合った結果、やることにしました(男特有の事だし最終的に父親のジョータが決めた)。処置は月曜の夜に行われ、5分程度で終わりました。砂糖水を含ませたおしゃぶりをしゃぶってハッピーになっている間にさっさとやってしまったので、泣きもしませんでした。その後特に変わった様子もありません。わたしは女だし、男子の下事情についてはよくわかりませんが、まぁこれで大人になってから悩んだりすることがなくなるのであればいいんではないか。。。という感じです。

他には、育児指導チャンネルみたいなものが備え付けのテレビで放送されていたのでジョータと一緒に観ました。SIDS(乳幼児突然死症候群)やSBS(揺さぶられっ子症候群)等について特に観ておくようにとのことでした。


☆母乳育児について
わたしの産院は母乳育児についてけっこう積極的なようで、妊娠中から母乳育児の指導のビデオを見るように勧められたりしていました(予定日直前には母乳育児クラスも取る予定でしたが、その前に生まれちゃってキャンセル・・・)。入院中もちょこちょこと看護師さんが現れては授乳の指導をしてくれました(超眠いときに限って現れる・・・)。

いつ何分どちらの乳で授乳したか、尿や便は出たかを記録するボード

それでもたった2日の入院生活で母乳育児が軌道に乗るはずもなく、今も悪戦苦闘しています。でも、何かあれば病院の手助けが受けられる環境なので、心強いし、何よりも病院の後押しがあって自分自身が母乳育児に積極的になれたのは良いことでした。


入院生活、とにかく入れ代わり立ち代わり人が現れるし、息子は泣き叫ぶし、全然眠れませんでしたが、わたしもジョータもアドレナリン全開だったので疲れはしたもののそこまで苦にはなりませんでした。身体の方もボロボロでしたが、痛み止め(イブプロフェン)をちょこちょこ飲んでいたので、後陣痛はほとんど感じませんでした(それよりも点滴の針を刺しているのが地味に痛くて嫌だった)。毎回痛みを数字で言わされましたが、痛み止め飲んでるし、2とか3とか適当に答えていました。

痛みのレベル表。確かに陣痛はWorst Possible Painだったわ

翌日にはシャワーも普通にひとりで立って浴びられました。ただ、会陰切開の傷は曲者で、これのせいで座ったり大股で歩いたりするのに難儀しましたが(抜糸不要の糸のせいか余計に引きつり感が気持ち悪かった)、2週間くらいで痛みはほぼ消えました。来週6週間目のチェックを受けに行くので、順調に回復していればいいな〜と思っています。なお、わたし個人の妊娠出産で辛かったことの順番としては、まぁ、順位をつけるのは難しいけど、一位がつわり、二位が産後の会陰切開の傷、三位が陣痛って感じでしょうか。陣痛はピークの痛みを経験し、もちろんすごく痛かったんだけど、わたしの場合無痛もやって長時間じゃなかったし子どもに会えるという終わりが見えている痛みなので、辛さという点では三位ということで。

【入院中の食事】
食事は朝昼夜と規則正しく出てきました。基本的にパートナーの分はありませんが、メニューが豊富で量が多いものを選んだので、二人でシェアして食べることができました。

メニュー。色々選べる。

産んだ日の朝食

部屋の外にある冷蔵庫には、水や果物系のジュース、ゼリー等が置いてあったので、のどが渇いたとき小腹が空いたときにジョータに持ってきてもらっていました。

【退院の日】
退院は午前11時の予定でしたが、友人が同日朝に同じ病院で出産し、そのお見舞いに行ったりしていたので(病室がすごく近くてびっくり)、結局1時間半くらいオーバーしてしまいました。退院のときにはお決まりの車椅子で。これが人生初の車椅子体験でした。出口に旦那が車を回してくれたので、そこからひとりで歩き、カーシートに乗ったチビをそのまま車に乗せ、家路につきました。二日間留守にしていた部屋は、シンクに食器がそのままになっていたり、風呂場がゴチャゴチャしていたり、テニスボールが転がっていたり。。。出産のバタバタのままの状態になっていましたが、腕の中で寝ているチビを見て、あぁ、産んだんだ〜って実感しました。そして3人の天手古舞の日々の幕開け。


振り返ってみて、とても快適な入院生活でした。看護師さんもフレンドリーで対応良かったし。ジョータも「VIPな旅行に行っているかのような二日間だった」と言っていました。日本の病院はどんな感じか知りませんが、今回の体験がなかなか素敵だったので、また子を産む機会があればアメリカで産みたいな〜なんて思っています。

以上アメリカでの入院レポートでした。
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出産体験記【2015年6月13日】

以下は2015年6月13日に書いた記事です。

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息子が生まれてもうじき1ヶ月。妊娠後期、「お腹から出てきたら大変になるわよ〜」と周りから言われていて予想はしていたけど、確かにずっと天手古舞の日々が続いています。両手を使う作業が全くできない。。。今も、いつ目覚めて泣き出すか・・・とビクつきながらパソコンを開いている次第です。でもでも、息子からこんなに求められるのは今だけ、これからはどんどん成長して離れていくばかり。そう思うと、寝不足でも何でも今の時期がとても愛おしく感じます。

さて、日々の子育てに追われて出産の記憶がぼんやりしてきているので、忘れちゃわない内に出産体験記を書き残しておきたいと思います。産む前、出産に対して不安や恐怖を抱えていたとき、色んな方のブログの出産話を読んで勇気づけられたりしたので、同じような気持ちを抱えている人に、こんなわたしでもちゃんと出産できたから大丈夫だよ〜というメッセージも込めて。


〜〜〜〜以下かなり長文〜〜〜〜

出産ストーリーは本当に十人十色。わたしの場合、予想外の展開の連続で、バタバタの中で気がついたら生まれていたという感じでした。両親学級で習った流れと違うじゃ〜んって何度叫んだことか。。。

まず、5月13日の38週目の妊婦健診時、子宮口がほとんど開いていないと指摘されたため、「初産は予定日過ぎる人も多いみたいだし、わたしものんびりパターンかもな〜」なんて悠長に考えていました。健診後に若干の出血があったものの、その後お腹の張りのペースにも変化はなく、痛みも全く感じること無く数日が過ぎました。

15日(金曜日)
この時点で兆候ゼロだったので、ジョータは"当分の間の最後の男子会"という名の飲み会を同僚(この同僚の奥さんも5月20日予定日の妊婦でした。彼女はその後19日に無事出産しました)と夜更けまでしたり、この時は「予定日付近まで絶対出てこないであろう」という妙な自信がありました。

16日(土曜日)
朝〜夕方
この日の朝も全くいつもと変わらず兆候なし。ただ、なぜか部屋の片付けと赤ちゃん用品の確認を無性にしたくなり、ごろごろしているジョータの尻を叩いて一緒に部屋をサッパリさせ、カーシート等を箱から出したりしました。思い返すと、何か第六感が働いたのかも。その後中華料理が食べたくなったので、昼にCooking Papa(中国人の友達オススメの本格中華料理店→HP)へ行き、北京ダックと小籠包を食しました。これが出産前の最後のゆっくりした二人きりのランチになるとは・・・。脂っこい中華をガッツリ食べたのでさすがにちょっと罪悪感を感じ、体調も良かったし、午後3時頃からスタンフォードの丘にハイキングに出かけました。

このハイキングが無かったら、きっと予定日までチビは出てこなかったんじゃないかと思います。担当医から「早く産みたければよく歩きましょう」と言われていたけれど、それまで心の隅で「歩こうが何しようが出るときは出るし、出ないときは出ないでしょ」なんて考えていました(だから平日はゴロゴロしていた)。実際、よく運動していてもなかなか産気づかない人もいるし。でも、わたしの場合は、このハイキングが陣痛を引き寄せたと確信しています。でも歩いているときは、次の日にチビをこの腕に抱いているとは全く予想もしていませんでした。

この日は本当に体調が良くて、初めてハイキングコースを一周することができました。そこそこ起伏の激しい道のりを6.5キロ。いつも途中で尿意を感じたりして引き返していたので、一周できたことにすごい達成感を感じました。歩きながら少しお腹が張ったりもしましたが、痛み等はありませんでした。

午後6時ころ
ハイキングでクタクタになり、何かさっぱりしたものを食したくなったので(妊娠後期、本当に食欲が爆発していたな。。。)、スプラウツ(オーガニック食品とか売っているスーパー→HP)に行ってアサイーボウルの材料を買い、家に帰ってジョータに作ってもらい食べました。これが午後6時ころのこと。

午後7時過ぎ:前駆陣痛
その後、ジョータがゲームをする横でゴロゴロしていたのですが、午後7時過ぎ辺りから少し生理痛のような痛みを感じるようになりました。でも我慢できる程度だったし、ジョータから「前駆陣痛でしょ」と一蹴されたので(ジョータさん、両親学級に参加した成果でわたし以上に出産の流れについて詳しくなっていた)、あぁこれが前駆陣痛か・・・と思いながらウトウトしていたら痛みが遠のいていきました。

午後9時〜11時ころ
その後、二人で映画を観始めたのですが、やっぱりなんか腹が痛い。そこでアプリに入っていたコントラクションタイマーで測ってみると、10分だったり15分だったり6分だったり・・・間隔がバラバラ。やっぱり前駆陣痛かもな〜とそのまま映画を観続けました。いずれにしても破水や511(5分間隔で1分間続く陣痛のパターンが1時間続く)って感じじゃないし、病院に行っても家に帰されるだろうから、できるだけ家でリラックスして過ごそうと思っていました。

午後11時ころ:出血
午後11時近くになり、映画の途中トイレに立ったところ、いきなり生理二日目くらいの量の鮮血が出ていることに気づく。先日の内診後の出血とは比ではない量。これがおしるし(Bloody show)なのか?けっこう出るもんだな〜なんて思いつつ、念のため担当医に連絡。

17日(日曜日)
午前0時ころ:第1回目病院
担当医から病院に行くように指示され、5月17日午前0時過ぎに手ぶらで産院へ(入院グッズ等は持って行かなくていいと言われた)。産院は家から2マイル程度の距離。途中そこそこの腹痛を感じましたが、まだ我慢できる程度でした。産院の夜間入り口から中に入り、当直の看護師さんたちに状況を説明した後、ペラ一枚の問診票になんか書いてサインし(もう内容を思い出せない。多分既往歴とかだったような。。。)、陣痛分娩室へ。看護師さんから現在の痛みのレベルを1から10で聞かれたので「4」と答えるわたし。少しずつ腹の痛みが増してきたような気がしてはいましたが、ここで5以上を言ってしまうと、本当の陣痛のときに10で収まりきらなくなるじゃん!って思い、控えめに4にしておきました。

分娩第一期(Early Labor):陣痛を確認
背中がガバっと開いた検査着に着替え、ベッドに横たわってお腹にベルトを装着し、NSTをしながら子宮口の検査。チビの心拍数は順調で、陣痛の波も来ているらしい(陣痛があるからノンストレスのNSTじゃなくて胎児心拍陣痛図のCTG検査になるのかな?)。そして、気になる子宮口・・・けっこう開いていたりして!?なんて思っていたところ、「2センチね」とのこと。ただ、もう分娩第一期(Early Labor)に入っているので、予想としては順調に行けば今日(5月17日)の夕方くらい、どんなに遅れても水曜日(20日)までには生まれると予言されました。「初産なので長期戦になることが予想されるから、一旦家に帰って、シャワーを浴びてとにかく寝て身体を休めて」と言われ、あ〜長丁場の戦いになるんだな〜確かに両親学級でEarly Laborは6から12時間続くって習ったし。。。と、これから長く続くであろう陣痛に耐える覚悟を決めました。

午前1時過ぎ:一旦帰宅。陣痛強まる
午前1時少し回った頃病院を後にし、途中、お腹が空いたので24時間やっている近所のWalgreens(アメリカのマツキヨみたいな店→HP)でジョータにスナックを買ってきてもらい(陣痛がそこそこ強くなり歩くのが辛くなっていたので店に入るのは断念)、家に帰りました。

1時半ころ帰宅し、シャワーを浴びようとしたところ、お腹がかなり痛くてバスルームでうずくまるわたし。「ちょっ、これかなり痛いよ。もう8くらいの痛みだよ。こんなん6時間以上も耐えられない。。。」と決めた覚悟をグラつかせながらジョータに訴えたところ、「出産ってのはそういうものだよ」と途中まで観ていた映画の続きを再生し始めながら他人事のように言われ、痛みと怒りの中で「お前の股間蹴ったろか〜」と本気で思いました。しかし、あまりにもわたしが痛がっているので、さすがに映画の再生を中止し(ちなみに観ていたのはこの映画→Charlie Victor Romeo、シャワーに一緒に入って浴びるのを手伝ってくれました。

浴びている最中に何度も痛みの波が襲ってきて、「痛い〜痛い〜」と叫びながらの入浴。午前0時頃は痛みレベル3(ちょっとシンドイ生理痛くらい)だったのが、2時間ちょっとでレベル9(レベル10はまだ使わずにとっておきたい)。もう腰から腹からものすごい痛み。本当にこれが分娩第一期の痛みなのか!?このインテンスな痛みが6〜12時間続くのか!?と心が折れかけていました。何よりも、この痛みは序の口で、Active Laborに入ったらもっと痛みが強くなるのだと思うと、もうこの時点で早くエピデュラル(無痛分娩で使う硬膜外麻酔)を打ってしまいたい!と思いました(ちなみに、エピデュラルを打つタイミングは511のリズムができて陣痛の波が安定するまで待つのが良いとされています)。産気付く前は、「様子を見て無理な感じだったら無痛にするわ」なんて言ってたけど、はい、無理無理無理。

シャワーをどうにかこうにか浴び終わり、ベッドに入ろうとしましたが、痛くて寝るどころじゃない。習った呼吸法でリラックスして痛みを逃そうとしましたが、もう逃げていくような痛みじゃないわって感じ。でもしっかり呼吸することはそれなりの助けになりました。ちなみに、この瞬間のために買っておいたテニスボールでジョータに腰を押してもらってもあまり効果はありませんでした。むしろそっとしておいてくださいって気分。ジョータさん両親学級で色々学んだのにね。。。でも一番精神的に効いたのはジョータの手をギューーーっと握ることだったかも。

午前3時:第2回目病院
もう痛くて痛くて、さすがにおかしいと思い始め、コントラクションタイマーでもう一度測ってみたら、511どころか311くらいになっているじゃないの。この時点で、それぞれの実家に電話を入れ(うちの両親には国際電話)、入院グッズを持って病院へ行きました。陣痛が来ていない時間がすごく短くなっていたので、支度をするのも一苦労。車まで移動する最中も陣痛に襲わて、外で座り込み、近所迷惑にならないように声を殺しながらも呻く。午前3時のことでした。

分娩第一期(Active Labor→Transition):尋常じゃない痛さの陣痛
病院到着後、すぐそこの夜間入り口に辿り着くまでに3回の陣痛。その度にその場にへたり込み呻く。この後意識朦朧で記憶が定かじゃありませんが、陣痛分娩室に再び入り、着替えてCTG検査をし、子宮口のチェック。結果、もう7〜8センチ開いているとのこと。3時間前まで2センチだったのに、何この急な展開!?看護師さんも驚いて病院内が急にバタバタし始める。

午前3時20分陣痛と戦うわたし。あまりにもブッサイクだったので顔はモザイクです。

痛みについてとかこれまでの経過とか色々英語で尋ねられ、朦朧としつつもなんとか返答(ここでもまだ10は使いたくなくて9と答えた)。そしてASAPでエピデュラルをよろしくと伝える。「この段階だともうエピデュラルが間に合うか。。。急いでみるわね」と言われてショックを受けるわたし(子宮口が8センチ以上開いていると無痛の処置をするには遅すぎるらしい)。「ここまで急激で強い陣痛に耐えてきたなんてロックスターよ!!!」と褒めてもらったものの、それよか早くこの痛みから開放してくれ〜と心の底から思いました。

エピデュラルについて
無痛分娩については日本ではまだ普及していないし、否定的な意見もありますが、わたしは無痛バンザイだと思います。この後、なんとかエピデュラルが間に合い、無痛分娩を経験することが出来ました。無痛にしたおかげで最後は落ち着いて冷静に我が子の誕生を見届けることができたし、その後の回復も早かった気がします(これはスピード出産だったこともあるかも)。わたしの場合は副作用等(頭痛や肌の痒みとか)も無く、足も痺れてはいるもののちゃんと動かせたし、背中への注射の痛みについても陣痛の痛みの方がずっと深刻だったのでほとんど感じませんでした。もちろん、息子にも何も影響なし。次産む時も絶対に無痛にします。(無痛分娩があれば何度でも産んでもいいわっていう意見も聞くし、少子化対策にもかなり効果的だと思うんだけどね。)

無痛分娩の流れ:無痛にしたい旨訴える→麻酔専門医が来る→麻酔についての説明を受けた後免責書類のようなものにサイン(陣痛がヤバすぎて内容あやふやなままさっさとサイン)→準備が整う→起き上がり、ベッドの横に腰掛ける→背中を消毒後、腰の上付近に注射(この時は動いてはいけないんだけど、陣痛の波が襲ってくると身を捩りたくなってかなりキツイ。注射自体は全く痛みを感じなかった)→先生が手早くなんか背中で作業をしている(多分麻酔を運ぶチューブのようなものを付けている)→作業が終わり、またベッドに横たわる→痛みの様子について質問されるが、依然として強い痛みがあるので、麻酔の量を増やす→だんだんと痛みを感じなくなる。20分程度して完全に痛みから開放される。

午前5時〜6時:仮眠
麻酔が効き始めてからは本当に生き返った感じがしました。やっとリラックスできたので、午前5時から6時ころまでふたりとも仮眠をとりました。考えてみれば、ハイキングでクタクタだったのに、そこから一睡もせず分娩に雪崩れ込んでしまい、もうボロボロ。ここで仮眠が取れてよかったです。(【追記】思い返せばこの仮眠を最後に、睡眠不足の生活に突入したんだよな・・・。)

午前6時過ぎ
分娩第二期(Pushing→Birth):いきむ
午前6時過ぎ、子宮口の確認をしたところ、10センチ全開。プッシュの始まりです。先生や看護師さんが続々と集まってきました。この子宮口チェックで破水したのですが、チビさん、胎便を漏らしていました。出産後NICUに行く可能性もあると言われ、心配になりましたが、とにかく早く外に出してあげようと思い、プッシュプッシュプッシュ。ジョータも片足を押さえて手伝ってくれました。陣痛はほとんど感じない状態になっていたので、モニターで波を確認し、先生とジョータの合図に従ってとにかくいきむ。力の限りいきむ。

午前7時13分:誕生
頭はすぐそこに見えていて、いきむ度に出てきてはいるけど、大きめだからなかなか完全に出てこない。。。45分くらいプッシュを繰り返し、酸素吸入もしてもらい、気付かない内に会陰切開もされ、やっとのことで午前7時13分、チビの産声が部屋に響き渡りました。しっかり泣いていて、肺も活動しているからNICU行きはなくなり、一安心。

ジョータさん、血とかにめっきり弱いと思いきや、へその緒も切ってくれたし、全てをしっかり観察していたそうで、「すごいことになっていたよ!頭が出てくるときは興奮した!」となんかとても嬉しそうに報告してくれました。

結局、病院に着いてから4時間弱のスピード出産。陣痛を感じてからは8時間程度でした。それにしても午前0時の子宮口2センチ段階から午前3時の7〜8センチの段階までものすごい早さで進んだもんだ。長期戦よりはよかったと思いますが、本格的な陣痛が来ているのに、まだこの先が長いはずだと信じ込んでいたことで、陣痛の痛みとの付き合い方がグダグダになってしまったのはある意味辛かった。夕方ころになりそうだって言ってたじゃーん。311くらいのやばい陣痛の最中にシャワー浴びてて、危うく家で産み落とすところだったわ。

そんなこんなのバタバタ出産でした。初産でこの早さ、安産で本当によかったです。でも、やり遂げた感はある。そして、みんながよく言うように、産んだ後(と言うか麻酔後)はもう陣痛の痛みなんて忘れちゃいました!

これから出産される方、想像よりも陣痛や分娩は恐ろしいものではありません。その時その時で必死になってなんとか乗り越えられるものです。これからお母さんになる人、がんばれー!

以上、出産体験記でした。
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2016年3月11日金曜日

出産のご報告【2015年5月26日】

以下の記事は2015年5月26日に書いたものです。やっと出産までたどり着いた〜。

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本日5月26日、出産予定日でした。ところが、チビさん、実は9日前に生まれちゃいました。この約1週間、慣れない子育てにジョータもわたしもバッタバタだったので、ご報告が遅れました。

5月17日午前7時13分(アメリカ太平洋時間)、体重7ポンド7オンス(3380グラム)、身長21インチ(約53センチ)の男の子が誕生しました。母子ともに元気です。


38週目の健診では子宮口がほとんど開いていないとのことだったので、こりゃ予定日過ぎるパターンかも。。とのんびり構えていたところ、38週5日目にして突然の出産となりました。本当にびっくりだったわ。

出産レポートはまた後日書きたいと思います。今はジョータの両親が手伝いに来てくれていて非常に助かっています(今日は頑張って和食も作ってくれました)。もう孫が可愛くて仕方がないって感じ。わたしたちも完全に親バカと化しています。


息子よ、わたしたちのところにやって来てくれて本当にありがとう!
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臍帯血の提供〜ハーフと白血病〜【2015年5月15日】

以下の記事は2015年5月15日に書いたものです。

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一昔前(わたしが子どもだった頃・・・)はハーフって言うと珍しい存在でしたが、現在の日本では、30人に1人が父または母が日本人以外とのことで、ハーフの人口がどんどん増えている模様。ミス・ユニバース日本代表の宮本さんも日米ハーフだし、ハーフの芸能人をテレビや雑誌で見かけない日はないくらい、日本社会でハーフの存在が当たり前になってきている感じでしょうか?まだ過渡期かな?まぁ、自分の腹の中の子もハーフなので、ハーフが活躍しているのを見るのは素直に嬉しいです。

妊娠中から「ハーフの子はゴージャスだよ」(アジア人、白人の両方から言われる)、「両親の遺伝子が遠いから強い子が生まれるよ」と信憑性のない事をよく言われていますが、まぁお世辞もあるだろうし、内容がポジティブなので言われて悪い気はしません(チビは腹の中でプレッシャーを感じているかもしれないが)。わたしの思いとしては、ハーフだからとか関係なく、健康に生まれて育ってくれれば何よりだという感じです。

しかし、医療的な問題として、アジア人×白人(異人種間)のハーフだから確実に抱えるリスクがあります。それは、仮に白血病に罹った場合、同じ白血球の血液型(HLA型)の骨髄提供者(ドナー)を見つけることが極めて難しくなるということ。

このHLA型というのは、父親と母親からそれぞれもらった血液の遺伝子の組み合わせ(全4通り)で決まるそうで、遺伝性のため、同じ人種から見つかることがほとんどだそう。そのため、ハーフでない日本人同士の場合、非血縁者からマッチしているドナーが見つかる確率は90%、白人の場合は80%とけっこう高い。それが、アフリカ系(バックグラウンドに多様性がある)になると5%弱になってしまう。更に、人種的に複雑なハーフなどでは、この確率が更に下がる(7万分の1以下とか)。。。

マッチする確率が非常に低いという問題がある上に、ドナー自体が少ないので、ハーフが白血病に罹った場合の絶望感は想像に易いでしょう。我が子がそのようなことになったら・・・と考えるだけで胸が張り裂けそうになります。

わたしは、ネットサーフィン中偶然にこの子の存在を知り(FB→A Match for Bay- Rally4Bay、ハーフと白血病の問題を考えるようになりました。しかし、わたし自身はハーフではないので、ハーフの人々のためにドナーになることはできません。それでは他に何かできる事はないか。

ありました。臍帯血の提供(PUBLIC CORD BLOOD DONATION)です。
臍帯血は、細胞提供者(ドナー)の負担がなく、HLA2座不一致でも移植が可能なことなどから、造血幹細胞の有力な供給源と考えられている。 問題点としては、臍帯血に含まれる造血幹細胞の数が骨髄や末梢血動員幹細胞に比べて少ないために、生着不全(造血幹細胞が定着しないこと)の確率が骨髄・末梢血動員幹細胞に比べて高いことや、造血の回復が遅いことがあげられる。含まれる造血幹細胞数の多寡が移植の成否を分ける重要な要素となるため、採取された臍帯血の全てが移植に利用できる訳ではないこと(採取された細胞数が少ない場合は移植には用いられない)、特に成人の患者への適応症例はまだ多くはなく、骨髄移植に比べ知見が少ないことなどもあげられる。 が、造血幹細胞数の少ない臍帯血も、幹細胞を増殖させた上で移植したり、複数人の臍帯血を一緒に移植する「カクテル移植」が試みられるなど、問題を克服する努力も行われている(Wiki)
骨髄移植と比べると弱い部分もありますが、HLA型が完全に一致しなくても移植が可能など、メリットもあり、何よりもマッチするドナー数が少ないハーフにとっては臍帯血の存在が残された希望の灯火となります。

なお、アメリカでは、パブリックへの提供ではなく、自分の子どもや家族の将来のために自分の子の臍帯血を採取して預けるという臍帯血バンク(有料)も流行っています(こちらなど)。自分の子どもの将来を思ってこその親の気持ちはよくわかるので、そういう選択肢もありかなと思います。

ただ、わたしの場合は、健康に生涯を全うするかもしれない(現在危機がない)チビのために臍帯血を保存するよりは、今困っている(命が尽きようとしている)ハーフの人たちのために彼の臍帯血を役立てたいと思う気持ちが強かったし、わたしと同じように思う人が増えれば、巡り巡ってチビに何かあったときに助けを得られるのでは?という善意の輪(Pay it forward)的なものを信じる気持ちがどこかにあるので、迷わずパブリックへの提供を選びました(かと言って、これを他人に強要しようとかではありません。それぞれの家族がそれぞれの考え方を持っているし)。

以下、臍帯血の提供の手続きについて


わたしの産院では独自に臍帯血の採取は行っていませんが、キットを持ち込めばその後の手続きをしてくれるとのことだったので、個人で調べて、キットを取り寄せることにしました(→ここに連絡を取りました)。

提供をするためには、妊娠34週目になる前に所定の登録手続きをしなければいけなかったので、32週あたりで気付いたわたしたちはけっこう焦りました。しかも、ペーパーワークが結構たいへん。。。過去に滞在した国とか期間を調べたり、自分の担当医のサインが必要だったり(用紙はダウンロードできます→ここ)、いつも通りバタバタと準備。

準備した書類を郵送した後、向こうから確認の電話がかかってきます。これは子ども(胎児)の母が直接回答しなければいけないので、英語が苦手だとしても自分で対応するしかありません。まぁ、聞かれることは簡単で、自分の誕生日を答えて本人確認した後、内容を理解しているか、質問はあるか等、ちょっとしたおしゃべりをするだけです。

後日キットが郵送されてきます。

キット

中にはこのような物が入っています

産む当日、これを持って産院へ行けばOK。直前に書類へのサイン等、細々としたやることはあるみたいですが、旦那の手を借りて(陣痛とかで余裕があるか不明なので)やればいいかな〜と思っています。

「チビのしっぽが役に立つな〜」と、へその緒をへその尾だと勘違いしているジョータ(面白いから指摘しないわたし)。当日は無事に臍帯血が採取できるといいな〜。
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【追記】
出産当日は陣痛で悶てバタバタの中、キットは忘れずに持って行きました(歯ブラシとか洗顔セット丸ごと忘れたが・・・)。その後の手続については、病院が手際よくやってくれました。へその緒はジョータが切ったのですが、わたしとチビが知らない内に採取されていたみたいです。

もし再度出産する機会があれば、またやりたいと思っています。

アメリカで妊婦健診〜12回目〜【2015年5月13日】

以下は2015年5月13日に書いた記事です。

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今まで数回分まとめて妊婦健診のレポートをしてきましたが、38週を過ぎた今、次回の健診までに出産する可能性があるため、ここからはその都度書いていきたいと思います。とは言え、まだまだ生まれる気配はないのですが・・・。


本日5月13日に12回目の妊婦健診がありました。わたしが通っている産婦人科では38週から子宮口の検査があります。初診以来の内診。最近お腹の張りもそこそこ頻繁にあるし、子宮口が開いてきていたらこのクリニックに来るのも今回が最後かもな〜なんて思い、すっかり顔なじみになった受付の姉さんたち、看護師さん、お世話になりました、と感慨深い面持ちで健診セクションに入るわたし。一方、念のため次々回までの予約を入れた後、小走りでわたしの後に続くジョータ。

いつも通り、まずは体重・血圧測定と尿の検査。前回は若干の蛋白が尿から検出されましたが、今回は無しとのことで、安心しました。その後、内診の準備のため、下を全て脱ぎ、例のペラッペラのキッチンペーパーのような紙を腰に巻いて、健診台に座り先生を待ちます。

日本では内診の際、腰の下からカーテンで区切られていて医師の顔とか行為が見えないようになっているのが普通かと思いますが、こちらは診察室が個室ということもあり、お情け程度に紙で覆い(紙が微妙に小さくて、前を隠そうとすると尻が見えたりする。。。)、医師とアイコンタクトや会話をし、その一挙手一投足まで観察できます。しかも、なぜかわたしのクリニックでは付添人の椅子が健診台の足の向こうにあるから、ボケっと座っているジョータに全てが見えているという・・・。まぁ、出産のときは恥ずかしいとかそんなこと言ってられない状況だろうから、こうやって診察の時から羞恥心を鈍麻させるのは必要なステップなのかもしれません。

しばらくして先生が「Good morning!!! How are you?」と言いながらとびきりの笑顔で部屋に入ってきました。わたしはこのフレンドリーで元気な先生の対応が好きです。「Pretty good!」といつものお決まりの返事をした後、この一週間でお腹の張りをより頻繁に感じるようになったこと等を報告。続いて、子宮底長の測定と胎児の心音確認。子宮底長は37センチに伸びていました。チビの心拍も130〜140程度とのこと。そして子宮口の検査へ。

子宮口の検査は痛いという話を巷(ネット)で聞いたりしていたので、どんなもんかとドキドキでしたが、先生が検査をしながら深呼吸をするように誘導してくれたこともあり、全く痛みを感じませんでした(わたしが鈍いだけか?)結果、まだお産は遠いだろうとのこと。。。チビの頭を触ることができたから下には降りてきているみたいだけど。。。

仮に予定日以降も陣痛の気配がない場合、予定日一週間後の6月2日に直接産院へ行って促進剤で出産することになるという話も出ました。また、現在チビは3200gを超えているようなので、遅くなればなるほど巨大化するため、運動を頑張って陣痛を促進させましょうとのこと。えぇ、わかっていますとも。ハイキングコース歩いてもスクワットしても、チビが居座る気でいる内はどうにもならない気がするけど、外の世界は素敵だよ〜と話しかけて出てくる気分を促そう。

病院から帰宅後、若干の出血があったので、もしやおしるし!?と一瞬思いましたが、普通に内診出血だろうな。来週もまだ妊婦健診13回目をアップしている可能性大。クリニックの方々、まだまだ世話になります。
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【後日談】
結局5月13日のこの妊婦健診が出産前最後の健診になりました。予定日まで10日以上あるし〜とのんびりしていたら、まさかの予定日9日前出産。正産期に入った後は本当に何があるかわかりませんね。


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2016年3月10日木曜日

赤ちゃんの瞳の色を予想してみる【2015年5月13日】

以下は2015年5月13日に書いた記事です。

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妊娠38週に突入。予定日まで約2週間。チビに会える日が近づくにつれ、ジョータやジジババ達との会話の中で、どっちに似てるかな〜とかいう話題が出るようになってきました。えぇ、みんな頭の中お花畑です。でもこういう話題も純粋に楽しかったりします。

外見について、チビは、アジア人のわたしと白人のジョータの血を半分ずつ受け継いだハーフ(英語ではmixedって言うのが一般的だけど、ここでは日本で一般的なハーフという言い方をします。ちなみに、英語の表現でハーフを使う場合は、halfの後にJapaneseとか付ければOK)なので日本人同士の赤ちゃんよりも外見の予測がしにくい。。。基本的に両親の中の優性遺伝の部分が出ることになるのかな(以前、暇潰しに予測サイトで予想図作ってみたけどほぼ信憑性なし→こちら)。

Wikiによると、ヒトの優性遺伝の例は、
体の部位優性劣性
目の色
髪の色
耳垢湿
波状形直状毛
二重一重
巻ける(立つ)巻けない(立てない)
親指曲がらない曲がる
指紋渦状紋・流状紋弓状紋
つむじ右巻き左巻き
皮膚の色暗色淡色
とのこと。この中で外見に関するものをピックアップしてわたしたちに当てはめると・・・

  • 目の色:わたし(ライトブラウン)、ジョータ(青)
  • 髪の色:わたし(黒)、ジョータ(幼少期は金→現在アッシュ系ブラウン )
  • 髪:わたし(直毛)、ジョータ(直毛)
  • 瞼:わたし(二重)、ジョータ(二重)
  • 皮膚の色:わたし(アジア人の中では色白の方)、ジョータ(淡色)

かなりの確率で髪はブラウンの直毛で目は二重になると思いますが、目の色はブラウンよりも明るくなる可能性があるから何色になるか楽しみ。まぁ、何色でも良いんだけどね(唯一願うのはわたしのド近眼が遺伝しないこと)。

白人の間では、瞳の色の種類が豊富なためか、赤ちゃんの瞳の色への関心が強く、その中でもやっぱりブルーの瞳は特別に思われているみたいです。この前生まれた友人の赤ちゃん(白人)が綺麗なブルーの瞳をしていたので、周りからチヤホヤされておりました。確かに澄んだ青い瞳は美しいよね。

なお、白人の瞳の色は生後変化するらしく(ハーフもそうかな?)、わたしが使っているbabycenterのアプリの妊娠38週の胎児の成長の記事に以下のように載っていました。
Wondering what color your baby's eyes will be? You may not be able to tell right away. If she's born with brown eyes, they'll likely stay brown. If she's born with steel gray or dark blue eyes, they may stay gray or blue or turn green, hazel, or brown by the time she's 9 months old. That's because a child's irises (the colored part of the eye) may gain more pigment in the months after she's born, but they usually won't get "lighter" or more blue. (Green, hazel, and brown eyes have more pigment than gray or blue eyes.)
生まれたときにブラウンじゃない限り、最終的に何色になるかは9ヶ月になるまでのお楽しみですね。

さらに、子どもの瞳の色を予測するサイトもあったりします(→こちら)。細かい設定をせずにざっくりとやってみたところ、こんな結果に。



これだとブルーやグリーンになる確率もそこそこあるという結果になっていますが、チビはわたし(先祖に白人系はいない、きっと)の遺伝子を継いでいるので、ヘーゼルとかはあったとしても、ジョータのようなブルーはまずないだろうな〜。

なお、わたしの叔父叔母(母の異父兄弟)はハーフなのですが(祖母がギリシャ系アメリカ人と再婚したため)、彼らの子ども(=わたしの従兄弟。4分の1日本人)の代になるとブルーやグレーの瞳が出てきたり、さらに従兄弟の子ども(8分の1日本人)は金髪碧眼だったりします。ものすご〜く先の話ですが、仮にチビが白人と結婚して孫ができたら、その時にはジョータのブルーアイズの家系が復活することもあるかもね。

そんな先のことまで夢想している呑気な臨月の妊婦でした。
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【予想は当たったか?】
現在10ヶ月間近なジュリアンですが、

  • 髪の色:少し赤っぽいブラウン
  • 髪:直毛
  • 瞼:二重
  • 皮膚の色:色白
です。ほぼ予想通り。そして瞳の色ですが、生まれた時は深い感じのブルーグレーで現在もブルーグレーのままです。光の加減によってグレーだったりグリーンぽく見える時もあります(ジョータほどブルーではない)。9ヶ月過ぎているからこのままこの色が定着するのか、それとも変化するのか、成長が楽しみ。


スタンフォードの丘を登る妊婦【2015年5月11日 】

以下は2015年5月11日に書いた記事です。

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臨月以降「たくさん歩きましょう!」と担当医からアドバイスを受けていますが、生来のグータラ人間なので、旦那が仕事に行っている平日はゴロゴロしていることが多いわたし。チビが生まれたら睡眠不足になるんだから今のうちに昼寝をむさぼるわよ!とグータラを正当化していました。しかし、ジョータの監視下に置かれる週末、「安産のために運動しなきゃだめだよ」と尻を叩かれ、外に半強制的に連れ出されることに。。。

ベイエリアはちょっと行けば山があり、トレイルやハイキングコースが充実しています(トレイルのリスト)。エンジニア人口の多い地域ですが、プログラマー=引きこもり的なイメージに反して(世のプログラマーの方々ごめんなさい)、こっちの人は、休みになるとキャンピングに出かけたり、トレイルを歩いたり、ロードバイクで走ったりと、アウトドア派が多い印象を受けます。緑も豊かで天気も良いから、それを思う存分享受しようとすることは至って自然なことなのかも。

妊娠前はよくTHE SKYLINE-TO-THE-SEA TRAIL(こちら)に行っていましたが、さすがにいつ生まれるかわからない状態で山中を散歩するのは不安だったので、家からも産院からも近いThe Dish(こちら)というハイキングコースを歩く(歩かされる)ことにしました。

こちら、スタンフォード大学の裏手の丘にある全長6.5キロほどのコース。大学の研究に使われているアンテナ(Dishとは皿形アンテナの意味)に向かって上り坂が続き、その後下って一周できるようになっています。自転車は入れません。ペットも禁止。


道は全て舗装されているので、山歩きするぜ!って感じの気合の入った格好をしなくても大丈夫です。ただ、山と比べて直射日光が強いので、日焼け対策は念入りに。


前を歩くジョータ。日焼け防止にパーカーかぶったとのことですが、怪しい人っぽい・・・。坂は比較的になだらかですが、臨月の腹を抱えた妊婦にはけっこうキツイ。


頑張って坂を登ると、シリコンバレーとその向こうの湾が見渡せるので気持ちがいい。


スタンフォード大の学生や、家族連れ、老若男女がハイキングを楽しんでいます。中には赤ちゃんをストローラーに乗せて走っている夫婦も。さすがにデカい腹の妊婦はわたしだけ。後ろから見るとお腹が大きいことがわからないので、ただノロノロ歩いている体力のない人に見えますが、追い越しざまに腹に気付き二度見されたり。えぇ、5キロ以上の負荷がかかっていますとも。


スタンフォード大学のランドマーク、フーバータワーが見えます。こうやって丘の上から見ると、本当に緑が豊かだわ(シリコンバレー、IT産業の中心地のイメージに反して長閑な田舎です)。東京にいた頃はジョータもわたしも六本木ヒルズから灰色の東京の街並を見ていて、それはそれで都会を感じて悪くはなかったんだけど(たまに富士山が見えると嬉しかったし)、こっちで生活して、やっぱり自然はいいねぇとつくづく感じます。動物も至るところにいて和むし。


アザミがたくさん咲いていました。アザミはわたしの母の好きな花。母の日だった日曜日、日本にいる母に、母の日のメッセージとともにこの写真を送りました。

妊娠後期のトイレが近い問題やらで一周せずに途中で引き返しましたが(無念)、4キロ弱歩いたのでジョータから合格点はもらえました。ジョータは、チビが生まれたらベビービョルンで抱っこしながらこのコースを一周するんだ〜と楽しみにしているみたいです。これから父と息子で色々アウトドア活動を楽しめるね。
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【後日談】
これを書いた6日後、このハイキングコースのおかげで産気づきました。散歩、絶大な効果あり。産後まだ行っていないけど、最近暖かくなってきたし、週末にでも久しぶりに3人で行ってみようかしら。

アメリカで妊婦健診〜9・10・11回目〜【2015年5月8日】

以下の記事は2015年5月8日に書いたものです。

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妊婦健診レポートも終盤に差し掛かってきました。妊娠35週目以降健診が週一回になったので、毎週毎週「えっ、もう!?」って感じで、時の経つ早さと近づく予定日にそわそわドキドキわくわく・・・と複数の擬態語が入り混じった心境の今日このごろ。

これまで毎回一緒に病院に足を運んでサポートしてくれたジョータには本当に感謝です。彼も健診を通じて父親としての自覚が芽生えてきている様子だし、わたしたちの家族としての絆も深まっているので、どんなに簡単な健診でも付き添ってもらってよかったと思っています。

今回は妊婦健診9・10・11回目のレポート。

9回目の妊婦健診は、4月22日、妊娠35週目にありました。この日もいつも通り、まずは看護師による体重・血圧・尿の検査。いずれもパーフェクトとのこと。その後、医師による子宮底長測定と胎児の心音確認。子宮底長は34センチ、チビの心音は一分間に130程度とのことで至って順調。この日はこれだけではなく、最後にB群溶血性レンサ球菌(Group B Streptococcus. GBS)の検査を抜き打ちでしました(医師を待っている間に、看護師から「下を全部脱いで腰にこれを巻いて待っていてね」とペラッペラの紙を渡されていたので、もう子宮口の検査でもするのかしら?とか思っていたら違った)。これはアメリカでは妊娠後期に妊婦全員が受ける検査。

このGBS、わたしたちの身体の中にいる常在菌らしく、健康な大人にとっては屁でもない存在なのですが、新生児にとっては非常に危険な存在になりうるとのこと。経膣分娩の際に新生児GBS感染症に罹ると、肺炎・敗血症・髄膜炎などを発症し、後遺症が残ったり最悪死に至るという恐ろしいもの。実際は母体がGBS陽性でも、新生児GBS感染症が発症するのは1%程度らしいのですが、念には念で、事前に母体の検査をして、陽性の場合はお産の際に母体に抗生物質を点滴するとのことです。

検査は、綿棒で膣口と肛門付近を軽くこするだけの簡単なもの。1秒位で終わりました。結果は1週間後の次回の健診時に伝えると言われ、この日の健診は終了。

健診とは直接関係ありませんが、この日、既に決定していた小児科医(pediatrician)を変更することにしました。理由は、彼の勤務するクリニックが若干遠く、生後頻繁に通うことを考えると、もっと近場のクリニックに勤務する人の方が良いと思ったから。せっかく日系の先生に決まっていたから少し残念な気もしましたが、まぁ今まで病院関係は英語環境でずっとやってきたから日本語通じなくてもいいか〜って感じで、地理的利便性を優先させました。

10回目の妊婦健診は、一週間後の4月29日、妊娠36週目にありました。この日もいつものルーティン(体重、血圧、尿検査)をこなし、いつも通りパーフェクト。子宮底長も35センチに伸び、チビの心拍も安定の130。気になっていた(いつも検査の後は結果が出るまでドキドキする)GBSの結果も陰性とのことで安心しました。先生から「今までいっぱい検査とかあったけど、これでもう終わり。後は元気に産むだけね〜」と言われ、達成感を感じて嬉しくなると同時に、全ての検査で何一つ問題が無くここまでこれたことって本当に有り難いことなんだな〜としみじみ感じました。

11回目の妊婦健診は、一昨日の5月6日、妊娠37週目にありました。この日は目覚ましが鳴らず(自分たちがセットし忘れただけだが。。。)予約に少し遅刻してしまうという波乱の幕開け。この後更なる波乱の展開がわたしたちを待ち受けているとは。。。

まず、朝自分でとった尿をバタバタの中で家に忘れ、病院でもう一度とることに。しかもこの尿から若干の蛋白が出てガッカリ。先生からは血圧も低いし、蛋白の量もごく僅かなので全く問題ないと言われましたが、今までパーフェクトだったのに〜と悔しさを感じました。

追い打ちをかけるべく、子宮底長が前回の35センチから33センチに縮むという事態が発生。ここにきてまたウルトラサウンドをすることになりました。

なお、アメリカでは通常2〜3回しかウルトラサウンド(日本で言うエコーのこと)をしないと以前書きましたが、何かあれば医師の判断ですぐにやってもらえるので、日本と比べて超音波が少なくて不安になるとか、診察が杜撰だとか、そういう印象は一切ありません。むしろ、アメリカでは要所要所(最初の心拍確認、NT、中期スクリーニング等)で専門家にしっかりと見てもらえるので、普通の医師がただ習慣的に毎回超音波をするようなケースよりも個人的には安心できるような気がします。

さて、チビの無事は胎動でわかっているけど、縮むって事は成長していないとか、羊水が少なくなっているとか・・・と悪いことが頭に浮かびまた不安になるわたし。お腹にジェルを塗り、機械を当てるとチビの頭がデカデカと映しだされました。真ん丸な頭。先生が、頭、お腹、大腿骨とサイズを順に測りながら、「形の良い頭ね〜」「心臓も4つにちゃんと分かれて元気に鼓動している」などなどコメントをしてわたしの不安を少しずつ拭い取ってくれます。そんな中、大腿骨を測定しながら「Oh, boy parts」と。。。わたしもジョータも「???????!!!!!!!」先生言っちゃったよ〜。うちらサプライズにしたいって伝えてあったのに〜。そう、It's a boyでした。

今時サプライズにしたいというカップルも少ないので、先生は知っているものと誤解して口が滑ったみたいですが、このカップルは性別を知りたくありませんってカルテにでもメモっておいてくれよ〜。男家系に育ち、我が子に女の子を希望していたジョータは若干ガッカリ気味でしたが、少しずつ現実を受け止め、父と息子も悪くないよなと最近は呟いています。こういうわけで、我が家に男が一人増えます。それにしても、予定日3週間切ったところでわかるなんて。。。チビよ、隠しておいてくれよ。どうせわかるなら赤ちゃん用品揃えてる頃にわかればよかったよ・・・。とりあえず、性別がわかっちゃったということはみんなにはまだ内緒(ブログでは書いたけど、アメリカの親族には生まれた時のサプライズにしておく)。

で、ウルトラサウンドをした目的のチビの発育ですが、推定体重3118g、かなり大きめに元気に育っていました。羊水量も完璧とのことで、よかったよかった。

子宮底長のせいでまさかの展開になってしまいましたが、きっとチビがうちらに知らせたかったのよね、と勝手に思い込んでます。これで名前も決定。名付けについてはまた別の記事で書けたら書きたいと思います(昨日から頻繁に腹が張るようになってきたので、産む前にあとどれくらいブログを更新できることやら。。。)。


以上、妊婦健診レポートでした〜。
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【後日談】
今では息子が可愛くて仕方がないジョータ。次も男の子でもいいなんて言っています。ま、我が子は性別なんて関係なく可愛いものよ。